The Terminal KYOTO について

本来の姿に戻す

昭和7年(1932年)に建てられた
総二階の京町家を復元した
The Terminal KYOTO。

京都で生まれ育った私たちが
京都に恩返しするために
京町家を守ろうと決意した思いの結晶です。

今風にアレンジするのが目的ではなく、
昔から残る知識と知恵、職人の技の象徴として
「本来の姿に戻す」をコンセプトに
戻し、伝承しました。

失われゆく文化と
京町家の景観を取り戻す

現在、京都では
京町家がどんどん失われてきています。
それは、景観はもちろんのこと
文化の喪失でもあります。

特に大型の物件は
改修・維持費の負担も大きく、
その不動産価値からマンションや駐車場へと
変わってしまっています。

私たちの活動がその動きを
少しでも
変えられるものにできれば幸いです。

知識・知恵と
コミュニティが
醸成する場として

The Terminalとは、駅・港のことであり、
人々が集まり、交錯する場所を意味します。

このThe Terminal KYOTOが、
衣食住の象徴として、伝承すべき
知恵・技術の象徴として、
ここに集まる人々の知識・知恵と
コミュニティが醸成する場として
皆様に活用されることを祈念しております。

建物概要

上棟日 昭和7年11月23日
施主 木崎安之助
大工 川嶋佐兵衛
所在地 京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町424番地
敷地面積 469.77m2
- 建物1階 234.54m2 / 建物2階 198.70m2
  • 平成25年9月 
    復元工事開始
  • 平成26年3月 
    一般公開

お部屋のご説明

坪庭(中庭)までの部分が呉服商が営まれていた部分(商業)です。奥和室二間は大旦那さん家族が暮らされていた場所(住居)です。大型の日本庭園があって、その先の離れにはご隠居された御祖母様が住まれていたとお聞きしております。
奥には井戸もありますが、現在は枯れ井戸です。

歴史

この物件は昭和7年(1932年)に建てられた総二階の京町家です。間口約9メートル奥行き50メートルもある典型的な「うなぎの寝床」といえる大型の京町家です。

施主は呉服問屋の名門「木崎呉服店」の創業者で、呉服商で培った財力と教養で愛情を込めた建てられたものです。昭和初期と言えば戦前最後のときで日本の経済と文化が最も発展し、京町家の建築技術も最高潮を迎えたときです。その後、戦争により多くの職人がなくなったことからもこの頃の建物は、京町家技術の集大成としても貴重と言えます。

かつて、この場所では木崎呉服店により呉服商が営まれていました。道路に面した側が仕事場になっており、奥には使用人が住んでいたものと推察されています。施主でもある創業者の方は趣味性の高い教養をお持ちだったようで、そのこだわりは茶室をはじめとする部屋の細部や天井の作り、そして奥にある日本庭園に表れています。茶室などは上得意様をもてなしたり、展示会場としても使われていたようです。

また、この場所「岩戸山町」は京都祇園祭の山鉾町の一つで、目の前に岩戸山(山鉾)が建ちます。岩戸山は天照大御神の岩戸隠れの伝説から生まれた山鉾町で、祇園祭の入り口に位置しています。

祇園祭