展示・イベント
日韓藝術通信Vol.9「カッカプコ モルダ モルゴ カッカプダ 近くて遠い、遠くて近い」
- 概要
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作家・主催者 井上裕加里 / INOUE Yukari(インスタレーション)・ 宇野和幸 / UNO Kazuyuki(平面)・大前春菜 / OMAE Haruna(彫刻)・ 河村啓生 / KAWAMURA Norio(映像・立体)・ シュヴァーブ トム / SVAB Tomas(写真)・武雄 文子 / TAKEO Ayako(平面)・中屋敷 智生 / NAKAYASHIKI Tomonari(絵画)・長島 さと子 / NAGASHIMA Satoko(平面)・奈良田 晃治 / NARADA Koji(平面)・ べ サンスン / BAE Sangsun(インスタレーション)・松本 誠史 / MATSUMOTO Seiji(彫刻)・宮岡 俊夫 / MIYAOKA Toshio(絵画)・ 박진명 / Park, jinmyung(平面)・최부윤 / Choi, booyun(彫刻)・이규식 / Lee, gyusik (インスタレーション)・최민건 / Choi, mingun(平面)・박영학 / Park, younghak(平面)・이고운/ Lee gowoon(平面)・박세라/ Park sera(平面)・박주영/ Park, juyeong(彫刻)・이승미/ Lee, sungmi(平面) 期間 2024年9月21日(土)~10月1日(火) 時間 9:30~18:00 備考 インスタレーション
平面
彫刻
映像
立体
絵画
写真
レポート
今展示は京都市と韓国清州市で活動する作家の有志が集まり、2016年から毎年、両国で開催されている展示です。今年の開催地、日本展で9年目となります。
日本と韓国の作家が芸術を通して「通信」続け、渡航が困難であったコロナ渦においても「往復書簡」という形で2021年に町家で展示(打ち合わせはWeb以外に、あえて手紙の手段を使い、やり取りの形跡を展示。作品は輸送。ポストを設置して展示を見にいらした方がメッセージを書くスペースも設けられていました)
タイトルの「カッガップコモルダ モルゴカッガップダ(近くて通り、遠くて近い)」は、互いの距離は近いのに気持ちは遠い存在であることを表す文言。
韓国の「パリッパリッテ(早く早く)」文化と、日本の「石橋を叩いて渡る入念さ」との兼ね合いは時にぶつかり合いに発展する緊張感も含み、数々の共同作業を介して、相互理解を徐々に深め、心理的な距離も「近い」といえるところまで達してきました。
互いの風土から育まれた文化的差異と、そこに生きる個々の作品は一体どれほど豊かな多様性をもちうるでしょうか。
日本と韓国における相互似と相違を見つめること。作品制作を通して対話し、尊厳や共感を発見すること。
日本人や韓国人という国籍や民族意識を超えた「わたしたち」
その現われを探ります。
一階:それぞれの風土
日本と韓国は海を隔てた隣國ですが、大陸に隣接する半島国家の韓国と、島国の日本には、豊かな敷が存在し、季節が織りなす旬を愉しむ情緒的な感覚は、日韓ともに共感し合える感覚であるでしょう。
木造建築では「韓屋(はんおく)」と呼ばれる伝統的な朝鮮半島の建築様式を有した家屋は、日本の伝統家屋と同様に瓦葺き屋根、土間がある点が類似しています。
しかし韓国の場合は、風と零下が続く寒さに強い建材で、松が主に用いられます。
一階では、日韓それぞれの風土や、そこに起因する心象風景をもとに制作された作品を展示し、日韓の作家が抱えるアイデンティティを探ります。
■井上裕加里 タイトル「撤去」
韓国を訪問した際、統治時代に建てられた日本の家屋に直接スプレーで”撤去”と書かれているものを見つけました。乱雑に吐き捨てられるかのように書かれた文字には韓国の日本に対する感情がどのようなものかを垣間見ることができる風土であると思いました。
韓国の至る場所では統治時代の日本人たちが残した道名、建物、庭園用植物が今でも存在しています。
統治時代に日本人たちが残したものは、それ自体が自然と現地に溶け込み、人々にとっての原風景となっていることがあります。
しかしながら、この時代に建てられた日本家屋は韓国では”敵産家屋”と呼ばれ、撤去されることが多く、現存する建物は減っています。
日本の家屋に直接スプレーで乱雑に”撤去”と書かれたものは日本に対する負の感情を表しているかのようでした。
統治時代に日本人たちが残した存在に対して、韓国の人々は相反する感情が複雑に絡み合っているように感じました。さらに言えば風土というものは、そこに暮らす人々が歴史観や自己同一性に対して感情を積み重ね、築き上げられるものであるとも言えるでしょう。
その建物は展示会場、The Terminal KYOTOの建物と同時代に建てられたものです。そのような場所に、韓国にある”撤去”の文字を映し出すことは両国の関係を風土から読み解くきっかけになることを願います。
■長島さと子 タイトル「色の和名ー信濃川ー」
2022年から2年間住んだ新潟の地を流れる信濃川の河川敷の景色。時間や季節によって色や様相を変えつつも変わらずに在る大河
■奈良田 晃治 タイトル「火の記憶」「虫送りの空」
数年前に取材した祭りで印象に残った事はたくさんあるが、時間を経て今は象徴的なイメージとして思い起こされている。
松明を燃やすための火と空の対比が印象的だった。
■Park Jin Myung タイトル「その時」「花のように、雪のように」
視覚的な感性と感覚は私を囲んでいる瞬間です。まったく同じような私たちの生活も、異なる感情を感じる。
見えない季節のにおい循環する大気の空気 その中に隠れている数多くの話は、私を囲んでいる何かの時間のようだ。
捕まえられない時間の持続の隙間に立っている瞬間の感情を目には認識できない現在の感覚と臭いを昨日を刻み、今日を塗りながら咲くイメージを画面に刻む。
私が感じたり、見た感情の色とにおい、そしてその余韻が画面に置かれているのではないでしょうか?
■宇野和幸 タイトル「Landscape of Flowing zone 1」「Landscape of Flowing zone 2」
互いに位置を固定しない関係の風景、流動することと「関係性の風景」をテーマに描いている。
技法的には、PCで加工した写真を和紙に転写することとアクリル絵の具等による水平方向の線を幾重にも重ねることによって、時間と空間の多義性(=曖昧さ)のリアリティを描き出したいと考えている。
■シュヴァーブ・トム タイトル「ボチボチ 赤と青」「ボチボチ Stand-up」
「ボチボチ」とは、心の状態を表す言葉である。関西では、誰かに挨拶するとき、そのように返ってくることがある。一見すると謙遜しているように聞こえるかもしれないが、実はそういうわけでもない。
昨日はオフィスの外壁が落ちてきて、今日は断水、猛暑の中、地球温暖化は屋外よりも室内の方が深刻に思える。ついには砂埃があなたのクライアントの資料をすべて破壊してしまった時、「ぼちぼち」という言葉は現実よりもずっといい響きに聴こえてくる。
漸進的な動きや着実な進歩、小さな赤ちゃんの一歩 ベイビーステップの方が良いという印象で「ぼちぼち」は、なお面白い皮肉に聴こえ、そしてもっと頻繁に使われるべきであると感じる。
■二階:それぞれの「私たち」らしさ
日本人と韓国人の「らしさ」をテーマとして展示が構成されています。
韓国の「パリッパリッ(早く早く)」効率的に作業するような文化と、日本の慎重さを要する文化には、両国の文化的背景が起因しています。
世代における感覚的な差異や、個人の思想や性分から生まれた齟齬でもありえます。
各々の作品から看取されうる人間性や問題意識の個別性を提示することで、合わせ鏡のような、相互理解を深める契機になればと願います。
個々の作品制作に焦点を当てる事で、互いの文化的背景を含む「らしさ」と、それを超えた多様な価値観が見えてくるはずです。
■松本誠史 タイトル「植塊」
掘った穴の形を抽出する。そこから芽が生え、花を咲が咲く。
■Bae Sang Sun タイトル「Glass Knot 2024-1」
1,300度の温度に耐えるこの特殊なガラスは、少しだけ気をつけなければ壊れる物性で強さと弱さを共存を示す関係の比喩として表現した結び目作品。
■Park Young Hak タイトル「Elegant」
不要な欲望と抑制のバランスと緊張感を持ち、境界の風景を優雅に表現する。
■Cho Min Gun タイトル「a boderline between 22-123」
“仮想と現実の間で迷い、遊ぶ私たちの姿”
■Park Se Ra タイトル「’逍遙’と’隱逸’の時間」「心遠」
竹林は世の中と切り離された感じを与え、隠逸のための場所でもある。竹林を囲んでいる夜の青黒い空間は、暗くて深く静かな雰囲気を感じることができる。
これは老子の宇宙のように広く、その深さが分からない「玄」のイメージを想起させる。満月が明るく照らす夜の竹林を通じて優雅さを崇めるいわゆる「崇牙(崇雅)趣」を表現しようとした。
■河村啓生 タイトル「死ぬのにもってこいの日」
わたしがホスピスで出会った詩集『今日は死ぬのにもってこいの日』をもとに、日本人と韓国人を対象として自分にとっての「死ぬのにもってこいの日」を考えるワークショップを実施。そこから生まれた言葉を、ちゃぶ台に仕込んた映像装置で上映する。「死」という人類共通のテーマに対して、日本人と韓国人から紡がれる言葉に差異はあるのだろうか。死生観におけるわたしたちの相似と相違を探る。
■Choi Boo Yun タイトル「生,滅滅滅滅…死」
宇宙を含めた全ての生まれたものはいつもやらないという仏教の世界観”無償”を表現。
■中屋敷智生 タイトル「あら、そう」「土偶と花瓶」
わたしの絵画の主題である「主客未分」は、西田幾多郎の「絶対無」の思想に基づいています。これは、一切の分別や対立を超え、全てがひとつに溶け込む状態を指します。
例えば湖面が完全に静まり、水面の波紋が一切なくなる瞬間を想像してみてください。
このとき、湖面の静けさが全ての形や色を消し去り、ただ「まなざし」として存在する状態が「絶対無」に相当します。わたしの絵画も、日本と韓国との文化的な違いを超越し、観るものがこの「永遠のまなざし」を感じ取ることを目指しており、主観と客観が融合する体験を提供したいと考えています。
■Park Ju Yeong タイトル「Memory and Flower」
ある感情に圧倒されるときは、その感情の重さから外れ、その感情から自分自身を分離しようと努力する。まるで観察者として自分を見つめるのと同じです。
感情は私の一部だが、それを分離することで「感情を感じる私」と「感情の外から感情を眺める私」を区別することができる。
自分の感情を擬人化し、他人のように見れば、我慢できなかった主体できない感情がさらに良くなる。
最近は耐えられなかった過去の思い出を盛り込んだ「花」と「花人形」を作っています。その時、「私」と「感じ」が分離されます。外部化。そうすることで、私たちは感情的な自己と理性的な自己の間の平衡を探しています。
■日韓の展示をする、そもそもの始まりは?
嵯峨美術大学で教員されている洋画の宇野先生(土間で展示)が、まず80年代にソウルから車で二時間ほどかかるチョンジュという地方都市で、そこの方と交流があったんですね。
現在はチョンジュの市立美術館の館長をされているキム・ザイカン先生が、日本の作家と交流したいというお気持ちがあられたようで、80年代に交流展を5回ほどされたと聞きました。
その時に学生として展覧会のお手伝いをされてたのがパク・ジンミョンさん(一階床脇の展示)と、チョイ・ミンガンさん(二階和室の作品)
そのお2人がずっと日韓交流展を近くで見られていて、自分たちも。という事でまず宇野先生にお声かけされて、80年代の作家を全て引き継ぐのではなく、宇野先生が色んな年代の作家が一緒の方がいいだろう。という事で、最初の80年代に行われていた展示を私たちは知らないので、そのレガシーを引き継いで、2016年に今の日韓交流展が再び始まったんです。
■今回も沢山の作家さんがご参加されてますが、お声かけとか、募集とか、どういった形で集まった作家さん達ですか?
韓国と日本では全く違うんですね。日本の場合はあの作家いいよね。といった感じでどんどん広まっていってますね。京都のASKアトリエの作家を起点に色々お声掛けしてる感じです。
■絵画の作家さんを中心に?
ん~。。ペインターが多いですが、そこに縛りを設けてるのではなく自然にといった感じです。
■言語の壁はあると思いますが、一緒に展覧会を進める中で苦労はありますか?
展覧会の構成を組み立てていく時に国民性なのか、年代性なのか、韓国のパリパリ文化(早く早く)はあって、わりとスムーズに進むんですけど、それ迄の準備期間が日本の方が入念なんです。
現場合わせではなく何度も下見に来させて頂いて、作家から作品サイズを事前に聞いて、何処に作品を置くかはめていく。そういった下準備の厚みが日本の方が圧倒的に多いですね。
■逆に刺激を受ける事やはありますか?
今回、韓国の作家は現場に2時について、設置が4時に終わったんですよ!早かったです(到着時間を聞いていたので、会場側としては間に合うのか少し不安でしたよ)
入念に色々したところで上手くいかない時もあるとは分かっていても、それでも入念に下準備してしまうのが日本人というか。。
そこら辺は毎回、ビックリしますね。
■芸術においての共通点や、ここはハッとする気付きとかありますか?
何処の国に行ってもそうだと思いますが、美術をやっていると言語を超えますよね。
なのでアートを通して、共通言語で話しているようには思いますね。2021年の時は韓国作家が来日出来なかったので、今回初めてThe Terminal KYOTOに来れてとても喜んでいます。もう次の展示発想が思い浮かんだりしてるみたいです(笑)
■毎年、開催場所を交互に変えて続けていらっしゃいますが、続ける醍醐味は何でしょう?
文化交流の草の根を広げるのは我々の1つの役目だと思います。
両国の草の根交流を絶やさない。継続する事が1番重要だと思っていて、ここ10年やってきた中でも韓国で日本の不買運動がおこったりして、政治的にはそういう状況が続いてる中でも、文化交流は私達がしなければいけない事だとは思っています。
ただアートシーンは韓国の方が進んでますし、文化予算も日本と全然違いますので、韓国のアートシーンに入りたい日本人作家も勿論いますし、それはそれぞれではありますが、一番は文化交流を絶やさない。相互理解を深めていく事を1番大切にしています。
パリパリ文化を超えた、個人と個人のやりとりで、共同作業が深まる中で新しく見えてくる個人もあります。
今までは韓国と、私達。と区切ってしまう所があったんですが、最近は10年やってるので、「私たち」の主語で話せるようになってきたので、やっと、やっと1つの共同体になってきたのかな。と思います。そういった点がやりがいですね