展示・イベント

木とそのたの精霊|Trees and other spirits|Bäume und andere Wesen

概要
作家・主催者 ベーハイム雪絵ラオレンティア | Yukie Laurentia Beheim
期間 2023年2月12日(日)~2月26日(日)
時間 9:00~18:00
備考 ■ベーハイム雪絵ラオレンティア (現代美術)

■プロフィール
ドイツ出身のべーハイム雪絵ラオレンティアは、デュッセルドルフ美術アカデミーを卒業後、2019年京都に移住。
現在は京都を拠点に日独両国で作家活動を行っている。
日本と西洋の文化のそれぞれにある特徴を制作に取り入れ、能面打ち等伝統的な技法や形を習得しながら新たな視点と表現に繋げることを目指している。

■作家在廊予定日
12日(日)14:00~18:00
18日(土)14:00~18:00
19日(日)14:00~18:00
25日(土)10:00~18:00

レポート

現代美術作家 ベーハイム雪絵さん32歳。そして能面師として「北沢元雪」の名もお持ちです。
搬入に至る迄には何度も町家を訪れ、誰もいない2階の部屋で、気付けば日が暮れるような時間まで空間を見渡して何かを探っている様な、そんな姿が印象的でした。
展示では町家全体を使い、室内を進むにつれて絵画・陶芸、能面、立体、映像といった作品が並びます。
現代美術作家とは、そんな何でも器用にこなせるものなのか?
展示期間中はそんな疑問が湧いてきました。そんなベーハイムさんの背景を伺ってみました。

アートに進むキッカケは?
幼稚園くらいから何か作る工作がいつも好きでした。
育った所の近くに森があって、週末は家族で森に散歩や遠足に行き、ポケットナイフで枝を削る事は父から教えて貰いました。
絵を書く事が好きで、子供用の教室に行きたいとお願いして通わせて貰いました。
それが始まりかな。
10代になってから郊外に住み、レンブラント、ダヴィンチ、ルーベンスなどが展示されている立派な美術館があったので絵画をよく見に行きましたし、14歳頃からは習い事は自分の貯金で通っていましたし、焼き物教室にも行ってましたね。

そこから芸大に進まれたのですか?
作家になりたいと、早くからは思っていました。
ミュンヘンの大学を見に行って教授の話を聞いたり、ウィーン大学の生徒と話をして、まずは美術大学がどういう所なのか情報を集めました。
ただ周りの人に話した時、「作家になって、どうやって生活するの?」それが第一の反応だったので、もっと他の事を勉強した方がいいのか考えたんですが、“一番やりたい事をやってみよう” と大学に応募しました。
入学した最初の1年はオリエンテーションで、全員同じ場所で一通り制作する楽しい自由な時間。
他の人が何をやっているか見れますし、話し合ったり、学ぶ事が沢山ありました。
その後に彫刻や絵画など、クラスごとに教授がいるので、自分に一番合うクラスシステムを探して応募し、先生からOKが出たら入れる流れです。

画家になりたいと思って芸大に入ったけれど、入学して初めて石膏でオブジェを作ったりして、絵画だけだと物足りないという気持ちが実はありました。
1年生最後の発表会で、あるクラスにいた先輩生徒から「うちのクラスに来ないですか?」と声をかけられ、そのクラスを見学しに行くと、立体・パフォーマンス・映像など幅広く、面白そうだったので私はそのクラスに入りました。
このメディアを使うというより、これを表現したいからこのメディアを使うクラスでした。

大学に入った事で今迄知らなかったものに触れて刺激を受け、絵画1本というよりかは、選択肢が増えたという事ですね。
受講するかは自由なんですが、写真や映像、溶接などの技術を全部2、3週間くらいづつ学ぶコースもあったので、私は出来るだけ全部、在学中に学んでおきたいと思って、それも受けていました。

大学生活は何年間ですか?
2011年10月に入り、2019年7月が卒業。8年です。その内1年が京都市立芸術大学の留学でした。
デュッセルドルフの美術アカデミーでは5年間が絶対です。その後は卒業したい時にする。というものでした。
本当にマイペースで「まだまだ学びたい事が沢山ある」「工具を使える」と色々メリットがあったので焦らずに。でも最後は、もぉ十分!という気持ちで卒業しました(笑)
(ずっと学生でいる人もいたので、2、3年前からはシステムが少し変わった様です)

卒業のタイミングは自由なんですね。でも学費かかるでしょ?
日本に比べると安いんです。私が在学してた頃は半年で5万円くらいです。
そして大学がある州の電車は乗り放題でした。

日本と全然違うんですね。芸大の学生に限らず、学生全員に対してそんな手厚いのですか?!
国立だったからそうだったのかも?しれない。でも州によってそういう内容は違います。
今の換算だと、学費は私の時よりも少し違いますけど。

8年間、沢山学ばれましたね。
なぜ私がそんなに長く勉強をしたかというと、日本に留学したかったんです。
学生の時に助成金や、留学の奨学金を受けられます。卒業してから行くのは経済的に大変なので。。

日本人とのハーフにおいて、自分の中の日本はなんだろう?という疑問から、日本に興味を持って学び出したと仰っていましたね。
住んでみたいと思うのは個人的な事で、能面の実物を見たい。お寺の建築をもっとじっくり実物を見たい。だから留学は京都です。

日本人でも能面師になろう。と思う人は少ないと思います。そこに何故ドイツで暮らしていたベーハイムさんが能面師なのか?
能面との出会いはドイツの図書館で知ったという事でしたが、初めて本で見た時、どういう印象を受けましたか?怖いとか。
ワクワクしました(笑)そして「美しい」とも思いました。
写真なのに、生きている様に私(ベーハイムさん)を人みたいに見てくる感覚。
「これ凄い!!」
そういう感じでした。そこから能を知っていきました。

日本留学した時に初めて本物の能面を見られたんですね。それって能舞台を見に行かれて?
初めて実物を見た時、どうでした?
出会えて、始まるワクワク感がありました。(2017年27歳 初めての留学で実物の能面と出会う)
学生は半額で入れたので、ほとんど毎月、能舞台を見に行っていましたし、
毎年1回、金剛能楽堂で能面を空気に触れさす虫干しをするんですが、1日か2日間は一般公開するので見に行ったりしました。すごく興味深かったです。

留学は1年間、あっという間ですよね
この1年でやりこさないと。という気持ちで、あれ見たい。これ見たい!
制作もするで、すごく焦っていました。

その時の制作は、どういった物を作っていたんですか?
空間をつかった「待ち合い」という作品を作っていました。
あとは、日本で色々見ていた中で記憶に残った物を、小さな陶器でオブジェを作っていました。

1年の京都留学を終えてドイツに戻り大学を卒業し、その後再び日本に来られますが、2度目の日本に来る目的は?
1回目の留学中に何人かの能面師に話を伺う事が出来て、数ヶ月だけ能面打ちの教室に通ったんです。そして留学期間の終わりかけに「こんな人いるよ」と紹介して下さった所が、能面打ち に役立つ木彫の基礎を教えてもらう所で、 少し通いました。
するとドイツに帰国する間際、「能面師のプロになりませんか?」と聞いてこられて驚きました。
心の中では99%「あ、やりたい!!」と思いましたが、「ドイツに戻って卒業してから決めます」とだけ返事して帰国しました。(この方が後に、ベーハイムさんの師匠となる)

能面を作る為に日本へ修行に行くと、ご家族に伝えた時の反応はどうでしたか?
びっくりしていました。特に兄は「まだそんな事するの?!」という反応で(笑)
でも、能面の歴史や価値を説明すると理解してくれて、応援してくれました。家族には沢山サポートしてもらいました。

じゃぁ2度目の日本は、プロの能面師にならないか?と誘ってくれた方の所へ、修行をする覚悟で来られたんですね。
そうですね。それが目的です(29歳)

そこからは、能面の制作に励む毎日だったんですか。
お金が何もなく来たのでバイトしながらです。師匠の所に行かない日は家で練習していました。
最初は道具の扱い方と、手入れの仕方。木彫の基礎です。木彫りは経験が無かったのでゼロからのスタートでした。
普通の生徒さんよりも、私の場合は結構ハードなスケジュールで。厳しかったけどそのお陰で「家でもっと練習しないと」と思って練習していました。
4、5ヶ月はずっと基礎をやり、その後に能面をやっていい事になりました。

ベーハイムさんは「北沢元雪」という能面師としての作家名をお持ちですが、そこに至る迄どれくらいの期間かかりましたか?
2年半~3年くらいだったと思います。3年はかかると聞いてたので。

そもそも、能面のビジュアルに惚れたのか、または歴史とか?
自分の興味ある物が、そこに全部集まっていたんです。
前から人間の顔に興味があって、仮面は人のアイデンティティに関係する道具として興味ありました。
能舞台は大体、あの世の人(霊)が舞台に登場します。
霊界を表す道具でもある事も面白いですし、「木」の素材も大好き。
絵画の要素、彫刻の要素、木の素材。といった能面にはやりたい事が一つにまとまっていて自分に合ってると思いました。
そしてパフォーマンスの道具でありながら、美術品でもある。
約700年続いている時間がそこに詰まっているのも凄いです。それらが色々詰まっていて、すごく魅力的に感じました。

でも能面一本ではなく、色んな事で活動していますよね。
今回の展示も映像、絵画、立体と様々でした
能面だけだと窮屈というか、今まで学んだ事を続けたいですし、その中で能面を生かした方が、能面を新しい方向へ持って行けるかな。と思います。
それに私の活動ジャンルが現代美術なので、私の展示を見に来る人は、伝統工芸にあまり触れない人が多いと思います。ですので、これから能面を展示に出す事で、そういった人達にも興味を持ってもらえるかもしれない。そういう考えもあります

今回の展示では「木」がテーマになっていますね。
昔から森に行って「木」は身近なものだったし、木はどういう存在なのかをもっと探っていきたくて。
木というテーマは、大学を卒業する前から始めていました。
町家で展示している絵画作品の木は、日本に来てから描いたものです。

町家も木造の建物ですものね。2階天高のカンナ屑の作品については?
宮大工さんと出会う機会があり、カンナで削る体験を一度した事がありました。
薄いカンナ屑を見た時、透き通ってて「わ~キレイー」と思いました。
ドイツではあんなに薄いカンナ屑を見た事なかったですし、日本のノウハウはすごく特別な事だと思います。
この技術を使っていつか作品を作りたいと、以前から思っていました。
削る体験した時、カンナ屑のゴミを沢山持って帰らせてもらい、これは何に使えるかなぁ。
と、家でよく眺めていました。
町家で展示をする事が決まって下見に来た時に、あのカンナ屑で何か出来そうだと感じたんです。
部屋の木枠に、二つの切りこみの跡がありましたから、そこにカンナ屑を繋げたら、梁(はり)が出来ると思ったんです。
あの部屋は何処に何があるか、時間かけて建具をよく見る必要がありました。

搬入の時、ゴミ袋に沢山入ったカンナ屑を何袋か持って来られ、1枚1枚アイロンをかけていらっしゃいました。
あれだけ沢山あったのに、いい長さで、いい状態で使えたのはたった10枚程でした(展示では9本使用)

町家でその展示イメージが生まれて、宮大工さんの所に削りに行かれたんですね。難しそうです。
はい。引く時、一回ぶれてしまうと切れてしまいます。
4メーターの木を一気に引きますから、全身でコントロールして引くのは難しかったです。
でも作品の為と考えていますから、すごく幸せな時間でした(笑顔)
たぶん5時間くらいお邪魔していました。

その隣の部屋の映像作品。額に顔を映すのも面白かったです。
あれは実際に誰かの顔を撮影されたんですか?
私の顔ですよ。

え!!この人、すっごく演技が上手な人だと思ってたんですよ。ベーハイムさんと全然違うじゃないですか!
悲しみ・湧き上がる怒り、また悲しい様な表情で終わる。そんな風に見えていて、とてもストーリーがあるな。って思ったんですが。
ドイツにいた2016年の作品です。映像のメディアとして扱い方を習うコースがあったので、映像に集中していた頃の作品です。
能を知った後くらいに作った作品です。
ずっと考えている事は「人間て何なのか」
自分の顔で何が出来るか色々試した中で、自分の顔を、他の顔に変えていくこと。また戻ってくる。そういう形にしたらどうなるのか実験的なところもありました。

私が知ってる限りですが海外の仮面は、ある一つの表情だけで「あ、この人は怒ってる人だ。この人は悲しい人だ」とか一つにまとまっている感じです。
能面は舞台上でも、一つの顔でありながら、能楽師が顔の角度を下に向ける、上に向ける事で、明るくなったり、悲しくなったり。そういうのを表現できるものです。
そこが能面の面白いところだと思うんです。
この人は今、笑ってるのか悲しいのか、怒てるのかパッと見て分からないところ。
その舞台、曲の流れによって見え方が変わるのがすごく人間に近いところの様に思います。

映像作品でも、うって変わって防空壕の作品はポップで可愛らしいですね。
あれも同じ時期に作りました。
顔の映像はすごく集中して、何回も何回も何回も繰り返して、やっとお披露目出来る作品でしたが、
遊びながら出来たものが、地下の作品です。
色んなレイヤーを重ねて作りました。初めてこの町家で発表しました。
なかなか展示に合う場所がなくて、眠っていた作品です。
下見で地下を見た時に「あ、もしかして。やっと居場所があった」という感じでした。

町家で様々な展示をしてきた中で、二階の和室を誰も入らせない様にした演出はベーハイムさんが初めてでした。
隙間から覗いて下さい。というね。面白い発想だと思いました。
襖を開けたり、閉めたり、外したりを自由にしてもらっていいと仰って下さったので、色々試して空間がどういう風に変わるか観察しました。光によってどうなるかとか。
最初は場所の広さに圧倒されました。閉めたら静かなプライベートな感じになり、電気を消したら障子からの光の柔らかさが凄く綺麗でした。
是非、この静けさ。日本の建築が元々持っている光を皆さんに見てほしいと思ったんです。
本当に綺麗で!すごく特別な場所だと思います。
朝から夜まで、天気によっても入って来る光の色が少し違ったり、その変化がすごく美しいと思って。

あえてそれを隙間から見て下さい。なんですね。
そうですね。隙間から見るだけでも感じら れると思うんですね。
中に入ってしまうと、自身が舞台に立ってる様になりますから、何か違う気がしました。
作品に対しても、見えるけど近寄れない。そういう緊張感を作りたかった。
もっと見たいけど、そこまで行けない距離感を体験して頂きたかった。
能面は実際に舞台で使う道具ですから、能面にとっては自然な距離だと思います。

部屋を進むにつれて絵、立体、映像と作品があり、お客様は楽しまれたと思います。
この町家自体の空間がいいので、その力も頂けてありがたいです。

ゆくゆくはドイツに帰る事を考えてるのですか?
京都が好きなので今は分からないです。今は帰るきっかけがないですし、まだまだ日本の文化で学べる事も多いですし、古い能面も日本にあるので勉強できるし、まだ当分はここにいると思います。

将来の夢は見えてるのですか?
作りたい作品はあります。今の展示も全部それに向かってやっています。
能面始めるのも、その作品に向かってです(能面もそれに使いたい)

思い描いているその秘密の夢は、何歳くらいから思っていたのですか?
どういう風に出来るのかイメージがあまりハッキリしていなかったけど、20代前半の在学中からです。
能面もご縁があって作れるようになったのは大きなプラスでした。
形は途中で変わっていますが。。。
この展示で終わりではなくて、これからも使えるように解体して、他の所に組み立てられる構造で、長持ちする。他の作品にも使える設計で、そういう点は前から考えてるんですけどね。

思い描いているその秘密の夢は、能面の技術や映像の技術も活かせるものなんですね。
なんだろー。リサイクルみたいな?
その想いはあります。一般の演目が終わると、その後はよく全部捨てる。展覧会でもその後のゴミの量が嫌です。
木は大切な材料です。
能面は何百年も続いているもので、私も長く価値を持つような作品を作りたいと思っています。

子供の頃から興味を持った事を実践して。
大学を選ぶ時も、事前に色んな人とコミュニケーションをとって自分に合う・合わないを見つけて。
日本留学に来られた時も、行動した事で人との縁を繋いで、能面の師匠になる方と出会って。
若い時から自分軸がしっかりされているのも驚きますし、目的に向かって進むから、引き寄せが生まれるのでしょうね。
そうですね、不思議な事に動くほど色々ご縁が出来て、動きやすくなりました。
一つの事に集中して、一つの作品に宇宙を感じるみたいな事に憧れを持っていたので、自分も一つの素材に決めなきゃいけないのかなぁ。と思っていました。
在学中は長く考えて苦しんだんですが、結果として自分は一つに決めてしまうと物足りない感覚が分かってからは、動きやすくなりました。
今は能面が集中できる物で、絶対につまらなくならないし、自分の中で段々クリアになってきて、やりたい事を出来るだけやれるように動いています。

今は京都で能面制作と能面打ちを教える仕事。滋賀県で仏像の修復をする仕事。春からは大学の非常勤講師(彫刻を教える)
そして、作品作りと忙しくなりますね。
仕事は学ぶ事が多いので、有難いです。忙しいけど本当に嬉しいです。楽しみです。
部屋にずっと眠っていた作品も町家の光によって生きてくるものがありましたし、今回の展示、大変だったけど本当に楽しかったです。良い機会を下さり、有難うございました。


展示をするにあたり、空間をじっくりと観察をする。
電気を付けずに襖を数センチあけると、そこからどんな光が入ってくるのか。
空間が持つ力と可能性を、時間をかけて知ろうとする所からスタートする姿が、ベーハイムさんが展示をする上で、とても大切にされている事なのだと知りました。
だからこそ文面にあった様に「是非この静けさ。日本建築が元々持っている事前の光を皆さんに見てほしい」という発想が生まれた事に、会場側としては感動する言葉でした。
作品が出来たから展示をするのではなく、ぴったりな空間に出会えたから、眠っていた作品を展示する。空間と作品に対してストイックなほど優しい姿勢ですよね。
だからこそ、こんなに面白い展示になったのだと思います。
ベーハイムさん、有難うございました。