展示・イベント

石に話すことを教えるーー生の〈技術〉

概要
作家・主催者 赤松正行(メディアアート)/石橋友也(バイオアート)/井上佑吉(石彫)/後藤朋美(現代アート)/ジダーノワアリーナ(映像)/杉浦今日子(刺繍)/福島あつし(写真)/堀園実(彫刻)/ジャン=ルイ・ボワシエ(メディアアート)/フロリアン・ガデン(絵画)
期間 2025年12月12日(金)~12月27日(土)
時間 9:30~18:00
備考 キュレータ : 大久保美紀 Miki OKUBO
主催 : art-sensibilisation
助成 :ポーラ美術振興財団、吉野石膏美術振興財団、朝日新聞文化財団 
協力 : 情報科学芸術大学院大学[IAMAS]

■レセプションパーティー& アーティストトーク
12月12日(金)18:30~20:30
登壇者:赤松正行、石橋友也、後藤朋美、ジダーノワアリーナ、杉浦今日子、福島あつし、大久保(キュレーター)
予約不要・参加無料

赤松正行《タレスの刻印》(2025)

レポート

石は、人類の始まりからずっと共にあり、私たちの短い人生をはるかに超えた長い時間の記憶を持っています。
どれほど科学やテクノロジーが進歩しても、自然や世界を完全に思い通りにすることはできません。
この展覧会では、石という存在を手がかりに「人が本来もっている力とは何か」を問い直します。
「技術」を機械や道具のことだけではなく、人が生きていく中で身につけてきた知恵や力、「生きる技術」として、改めて感じていただければと思います。
それではキュレーターの大久保さん、3名の作家さんの作品への想いなどをメインにご紹介させて頂きます。


■大久保美紀(キュレーター)
アメリカのノンフィクション作家アニー・ディラードが書いた「石に話すことを教える」は面白いタイトルで、彼女がガラパゴス諸島で生活の中で、若い男の子が毎日、石に話す事を教えている人がいる。周りの人たちは彼を馬鹿にして変人扱いをしているのだが、私は(大久保さん)は彼が一つの石に向かって、人間の言葉を教える儀式をやっている仕事が崇高だと思います。
私たちは人間と言う同じ言葉は聞こえるけれど、私たちを取り巻いているほとんどのものは聞こえないし、ノイズですら聞こえない。
世界を分かろうとし、自分の手段で耳を傾けている事に繋がっています。
エコロジーやテクノロジーをアートで何をするか。どういう風に考えるか。
エコロジーに関する展覧会はすごく沢山あるんだけど、私はこの展覧会で凄く多様なアプローチで10人のアーティストの方々が取り組んで下さっていること、ライフワークでやっている方もいらっしゃいますし、色んなプロジェクトの中でやっておられる方もいらっしゃる。
そういうアプローチの一つ一つが自分の言葉、考え、身体を通じて世界に向き合っていると思っています。
エコロジーや技術について考えるそういう毎日、生きることと繋がっていると思いました。改めて展示を見て凄く作家の皆さんに感銘を受けました。


■ジダーノワ アリーナ(映像)
私はロシア人ですが、1歳の時に日本に来て育ちました。親は生粋のロシア人です。
日本の環境で幼少期から育ち、家の中はロシアの中の世界という異なる文化感というか、2つの国のギャップを常に感じながら育ってきました。若い頃は悩む事もありましたが面白い事もあって、外ではこれが正しいとされている事が、家に入ると正しくないとか。
家の中では凄くいいね!と言われる事が、外に出るとバカにされたり。
そういう事が常日頃から起こっていて、そういう文化感だけじゃなく、人と人との認識の違いもあって、私は「記憶」をテーマにして早10年経ちます。
人の記憶は育った環境とかに凄く影響があり、家族の影響もあるし、環境によって何が正しい。何が正しくない。どういう情報が記憶として必要か、必要じゃないか。が記憶を辿っていくと分かっていくという事が多々あり、その面白さを研究しています。

今回の2作品は、私自身の記憶について行いました。
2階の作品は、2021年にロシアに行く機会があって、そこでリサーチをしました。
1歳まで住んでいた家がまだ持ち家としてあったので、そこに入って当時の生活の痕跡を探ってきました。
自分自身に対するセルフインタビューも、家族へのインタビューも行い、私がもしこの家に住んでたらどういう人格になっていたか。そういう事を色々考えながら私自身が知らない記憶を探っていった作品です。

2つの作品に共通しているのが「前後について」です。
日本育ちなので子供の頃はロシア語が話せなかったです。でも親はロシア語しか話せなくて、どうコミュニケーションを取ってたんだ?周りの助けも勿論ありましたが、親の言葉を音で認識して「何かこういうこと言ってるのかな」勝手に想像してたんですよ。
結構間違っていたんだけど、その時の感覚というのが作品のナレーションに使えないかと思い、自分の記憶の言語。ほぼほぼ創作した言語になりますが、自分しか使えない言語を作ってナレーションに入れています。

地下の作品は、1年前に私立芸大の博士をとりまして、底で発表した作品に再編集・追加した作品です。
博士の研究テーマでもあったのですが、忘れた記憶を元に新しい人格を作ったらどうなるのか?
という不可能に近いことですが、芸術だったら何か面白い事が出来るんじゃないかと思って、研究をずっと続けてきました。
色々リサーチして自分自身の記憶を元に、忘れた記憶を取り出してみて、そこから物語りを作っている。そして人格を作っている。という事をしてみました。
今の私の人格と、忘れた事をベースにした人格というのは最初二つの人格があって、それが博士の時に発表した作品ですが、そこから進化版のストーリーを作って色んな人格が出来たんですね。
もちろん物語りの中だし、作品の中で成り立つ人格をいくつか作ってみました。色んな私がいるという様な作品になりました。
最後に流れる音楽はロシアに行った時に実際に録音したもので、現地で移民の方が路上パフォーマンスを演奏していて自分に重なる様にも思え、重なる部分があると思って作品に取り入れました。


■石橋 友也(バイオアート)
この一年間くらい川で拾ってきたゴミで顕微鏡を作って、その川の水を覗く。というプロジェクトを行っています。
その神田川で行ったものを展示しています。神田川は東京の井の頭公園から隅田川まで25キロにわたる非常に短い都市河川です。
そこの新宿区にある高田橋で採取したゴミ。今回の展示は自転車と、一眼レフカメラのレンズの一部と、スマートフォン。
都会の川なのでスマートフォンが一時間で5個も拾えて。それらを改造してブリコラージュして顕微鏡にして神田川の水を観察しています。展示している作品も実際に覗いて頂けます。

防空壕の映像作品は、風景の中に潜んでいる線の形を解析して、その形を文字に変換しています。
例えばここ(建具の一部を示す)は「Y」の形ですよね。風景の中に潜んでいる幾何学的なパターンの「Y」や「コ」とかあらゆる言語の中に見いだされる幾何学的パターンの比率が一致する研究が2000年代の初頭に研究者により発表されてます。
いわゆる自然の形と、文字の形が似ているという研究結果で、あらゆる国の文字の形が修練進化していったという研究だとされています。その研究に着想をえて、風景の写真から線を解析し、そこから文字を作り出すというバベルのランドスケープというシリーズです。
岐阜にある現在の水門川の写真を撮り、その風景に入っている線を解析し漢字を生成した映像です。


■福島あつし(写真)
僕は写真を中心に生活をしていますが、写真でお金を稼いでいるのではなくて、大学卒業後は弁当屋の配達員として10年間働きました。
その配達先はおじいさん・おばあさん。高齢者専用のお弁当であって、最初はこういう現場があるんだなと驚いちゃって、でも写真は撮っちゃいけないんだろうなと思ってたんですが、店長さんがせっかく大学で勉強したんだから撮りなよと言ってくれて、そこから写真を撮る様になりました。
写真を撮ると、その世界に一歩・二歩と踏み込むことになるんですよ。
虫メガネと同じで、カメラレンズを覗いていくと、どんどんその世界に入っていってしまう。気付いたら自分が何処にいるのか分からないまでその現場で入っちゃったんですね。
僕も精神的に苦しくなったりしてバイトを辞めて。でも気になってもう一回戻ったりを3回繰り返したんです。
その人たちを可哀想な人と認識してたんですが、この状況でも生きる人間てたくましい、強いなと肯定してその人たちを可哀想な人達じゃなくて、リスペクトする事が最終的には出来たのでスッキリしてその仕事を終えたんです。

今回は、農協の写真を展示しました。
20代は生き死ぬの世界に飛び込んじゃったので、どうやって生きていけばいいんだろ?何が自分は楽しんだろ?
ほんと分からなくなっちゃって弁当屋を辞めてから結構フラフラしてたんです。
それを見かねた友人が農業を一緒にやらないかと誘ってくれて、ちょっと興味もあったし自然に触れる事が出来ると思ってその世界に足を踏み込みました。
でも写真を撮るとなると、どうしても1枚フィルターが入っちゃうんですね。どうしてもお客さんというか観察する人間になっちゃう。
それは弁当屋で経験してたので、それはやりたくないという事で写真は一切撮らずに、ひたすら農業をやりたいと思って入って1、2年の農業をしていました。
話は長くなりますが、まぁ写真を撮らなきゃいけない状況になってしまい、あぁー写真撮りたくないけど仕方なく撮るか。となり撮りました。
そうするとまた一歩・二歩をその世界に入る事になっちゃって。
農業って自然に触れる事が出来るとか、スローライフで穏やかなイメージがあって、それが楽しみで入ったんですが、
実際にやるとめちゃくちゃしんどくて、何でこんな事やってるんだ?毎日辞めたくなるんですよ。
昨日撮った雑草が、また同じくらい生えてるし。特に夏は野菜を愛でる時間も全くない。1分1秒を無駄に出来ない。それだけ稼ぎがなくなるので本当に厳しい現場なんですね。
なので夏の激しい農業を取ろうと決めて、夏だけ撮るようにしました。
激しい写真を撮るのって競歩、そこを歩いている人を激しく撮って下さいみたいな。それくらい難しい事だと取り始めて気付いて、どうやって撮ればいいんだろ?試行錯誤しながら、なるべく自分が感じている激しさを伝わる様に撮りました。

ある時、毎日辞めたいなー。金も最低賃金だし、こんなに激しくて苦しいし。ここに幸せがあるんか?と思いながらやってたんです。
ふざけんな!と思ってるんだけど、よくわかんないですけど気持ちよくもあるんですね。
夏は、他の生き物たちと野菜を奪い合うことになるんです。
明日収穫するタイミングだと、美味しい食べごろを動物たちも分かってるので、ゴソッと持ってかれたりして、今まで何のためにやったんだ!?とかあるんですよ。
だから農家は自然をコントロールする仕事なんですけど、夏はコントロールしきれないんです。
雨も降って予定は狂うし、ぐちゃぐちゃになってゴテゴテニまわっていくんですよ。
そうすると自分は人間だから他の動物たちより強いと思っていたのが、決してそうではないと気付くんです。
初めて他の生き物たちと自分が同等な存在になった時に、自分も自然なんだ。と気付いたんです。
農業に入る前は自然に触れれるとか、穏やかな暮らしが出来ると思ってたけど、自分も自然の一部なんだ。みたいな感覚を得ることが出来て、もしかしたらこの感覚を得るために農園に来たのかもしれない。
しんどいけど実はこの世界は美しいんじゃないか。と思うようになったんですよ。3、4年経つんですけど(笑)

この美しいかもしれない激しくて、おぞましい世界なんですが、自分がずっとやってきた写真で、上手く切り取れば自分が思いもしない美しい世界が具現化するんじゃないかと思って、そこからそっちにコンセプトをめがけて写真を撮ってきました。
写真を撮って、気に入った写真を毎日座りながら眺めるんですが、どんどんいい写真が集まってきて、自分が美しいと思っていた世界は存在するんだ。
手応えが徐々に目の前に広がるいい写真たちが自分を証明してくれるというか。
今年の夏も写真を撮ってたんですが、やっぱりこの世界は美しんだと思って。
でも何で美しいんだろ?と、最終的な問いはそこにいったんですよ。
それは自分を含めた生き物。農家、猪や動物、菌や虫が、あの夏の小さな畑の中で命を燃やしてるんですよね。
野菜を取り合ったりとか、取り合って死んじゃったりとか、それをまた違うものが食べたりして。
至るところで循環が繰り広げられてるんですけど、とにかく命を燃やして、燃え尽きている。
その生と死の強烈なエネルギーが自分は美しいと思ってたんだ。と最近気づきました(笑)
写真は小さくて迫力が欠けるかもしれませんが、生と死のエネルギーを感じて頂けたらと思います。


■赤松 正行(メディアアート)
《タレスの刻印》は、モバイルフォンなどを取り付けたカスタムメイドの撮影装置をプログラムによってテジタル制御し、数十分から数時間をかけて長時間露光して撮影されたイメージ群である。
近年の撮影では、デジタル制御のみならず、風などの自然条件がカメラに及ぼす影響を利用した運動の軌跡を写しとっている。
ギリシャの哲学者タレスは、星を眺めて歩き、その観想に没頭して転倒してしまう。歩くタレスが見たかもしれない星空を技術的に具体化したのが本作である。
規則や法則を見出し、わずかな手がかりから世界を解読せんとする人類の好奇心は、文明を築き、科学的知性の拠り所となってきた。
本作の制御しつつ制御不可能である本質は、私たちの文明や科学が、世界を理解する強力な道具でありながら、同時にそれが人間中心的な次元にすぎない点で私たちの認識の限界を露わにする。
私たちは技術を通じて世界を人間化するが、私たちの世界解釈は実際には技術によって与えられている。《タレスの刻印》における予測不可能性との戯れは、そのような絶望を感受した上で、写し取られた「墨流し」の紋様の美しさに息を呑むきっかけを私たちに与えるだろう。


■井上 佑吉(石彫)
井上の傑作《Milleetunetétes》は沖縄の石灰岩を素材とした素朴な彫刻群である。これまで約300体を掘り続けてきた。
ーっーっは人の頭部を表し、沖縄戦で生命を落とした父のように、生きたいと願って死んでいった人々への想いが込められている。
井上は石という素材を愛し、石が生きる遙かな時空間を垣間見る。井上によれば石を彫ることは、石次第を受け人れること、石がどのようであるかを感し取ることである。(Milleetunetétes》は集合であり、それは一つ一つであると同時に、遍在する石の一部でもある。私たちの文明は数千年続いており、石は砂や上となってきた。
それらはいつかまた石になるだろう。自分のいなくなった世界に、荒地の片隅で苔むした様子で発見されることを想像して、作家は微笑む。


■後藤 朋美(現代アート)
《TrustThyScars》(あなたの傷を信頼して)は、後藤朋美が自身の経験を通じて「本質的な治癒とは何か」を問う芸術実践である。インスタレーションは、その上に置かれた氷が静かに溶ける陶の彫刻、和紙のエンポス表現、パネルのテクスト、布に投影された映像によって構成される。
素焼きの上器は腹部と胞衣を表し、その上に置かれた氷の手は、常温で相変異する。上器には穴があり、そこに雫が滴り落ちて、静かな音がする。映像は絹の衣に映し出され、変化する氷が生命をいたわる行為を思わせる。
足形や植物の押し型を記憶する和紙は、作家の息の長い探求から編み出された方法で制作され、地に足をつけて生きる強さとそれを癒す薬草との関係が結ばれている。
現代医療における身体のあり方は複雑である。高度な医療技術や個人化された医療、遺伝子検査のおかげで、私たちは精緻にカスタマイズされた治療を受けることができる。
だが、その身体とともにある心の声に耳を傾け、その意思を尊重することは難しく、しばしば患者は疎外され、治癒は外在化する。後藤の芸術実践では、その治癒プロセスを私たちが取り戻すことを勇気づける。
photographs by Satoshi Fukushima


■杉浦今日子(刺繍)
素材から作品を創りあげるとき、思考や意思によらず、身体の感覚が先に動く瞬間がある。
目に見えないものを信じる想像カこそが、人間が人間である証であり、私たちの生命を豊かにする。
有機、無機を問わず、すべての物質や生物に内包された、不可視で非言語的な生命感を身体を通じて表現する。そのことが、私の作品の大事な部分を形成している。
《Parallel World》は、目では捉えられないが確かに感じられる領域、その不確かな気配を、パラレルな「何か」として可視化しようとする試みから始まった。
自分が生きる現実と、並行して別の時空が存在するという感覚に基づいている。
《Moon》では、地球の衛星である月が変容する姿に宿る潜在的な生命感を表した。我々の時空と並行に存在するパラレルワールドにも月は存在するのだろうか。


■堀 園実(彫刻)
漆喰は湿度を調整することから呼吸をする建材と言われる。
漆喰を素材とする彫刻もまた、生きものが皮膚呼吸をするように、呼吸を通して私たちの世界と関わりをもつ。
堀園実は、琉球漆喰の柔らかさと脆さにこだわる。その強すぎない素材の振る舞いは、まるで絶えず命が循環する自然界の仕組みに溶け込むような優しさを感じさせるという。
本展の出展作品もその琉球漆喰の表現を追求したものだ。また、「落果」シリーズは、果実あるいは種子のように優しい手の表情を切り取った漆喰彫刻であり、それが流れるままに川を下る様子が想像される。それは、流されるままに在ることについての、一つのポジテイプな解釈である。作家によれば、手は目やロよりも雄弁に語り、顔よりも私たちの意思を表す。
手という器官のメタモルフォーゼがここにある


■ジャン=ルイ・ボワシエ(メディアアート)
《Crassulaubiquiste》は、中国、アメリカ、イギリス、日本、フランス、スイス、デンマークなど、さまざまな国のさまざまな場所から採取された「カネノナルキ」(学名:Crassulaovata)として知られる多肉植物の植木鉢群である。
挿し木は栽培され、新しい挿し木になる。異なる場所にさまざまな個体が存在し、コロニーとしての寿命は不定である。
今日では、植物は互いにコミュニケーションするという事実がますます知られている。では遍在する植物の記憶の問題を私たちはどう考えられるだろう。
テレポーテーションや量子もつれの現象は、情報や経験の共有に関係するだろうか。
異なる時間と空間の記憶を孕んだ多肉植物の個体群の記憶は、ある種の生命の集合的記憶を増幅するのだろうか。
植物が私たちに伝える記憶のカ、それは植物が生きていることに由来するものにほかならない。


■フロリアン・ガデン(絵画)
ガデンが2010年代後半に取り組んだ《cellulebabélienne》シリーズの頂点である。2015年に描かれた(cellule babélienne》はこの一連のシリーズの端緒となった作品である。
バベルの塔神話は、人間の驕心に憤慨した神は、互いが意思疎通できないよう私たちを言語的に分断したことを伝える。
その物語にしたがえば、世界のあらゆるものとの調和を失い、争い続ける私たちの歴史は自明であったのだろうか。
だが、作家がここで描く建造物は、真核生物の細胞小器官(オルガネラ)で構成され、遺伝子をタンパク質に変換する自然界の言語である遺伝子コードの普遍性が参照されている。
細菌・真菌・ウイルスは、私たちの代謝バランス、消化器系や免疫系の成熟、他の病原性微生物からの保護に重要な役割を果たし、腸内細菌叢が脳機能に影響を与える。私たち生命体は微生物に慢性的に感染/コロニー化されている。私たちという存在、そのアイデンティティーをいかに考えるべきかを問いかける。