展示・イベント
上田普 書作品展-山水sansui
- 概要
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作家・主催者 上田 普(書家) 期間 2022年9月23日(金)~10月10日(月) 時間 9:00~18:00 備考 ■Collaboration with
・セリーヌ・ライト(和紙照明)
・新島 龍彦(造本)
・浦田 恭資(アクアリウム)
And Gest
・ミシェル・ネーワル(花)
■イベント
ご予約、お問い合わせ先 : 164ueta@gmail.com
・9月24日(土) ギャラリートーク
14:00~
要予約 15名
・10月9日(日) 書の道具の話「墨、紙、そして硯」
13:00~/15:00~
要予約 各回10名程度
レポート
道路沿いから、魚が入った水槽が土間に見える。「え…何やってるの?」と興味を持って入って来られる方。
書道展だと知ると驚かれます。
書道展は綺麗な字で書かれた作品がズラッと並び、どことなくピリッとした空気が漂うイメージを持つ方って一般的に多いのではないでしょうか。
上田さんは「書道をやってる人しか見に来ないっていう状況が嫌いで。変な堅苦しさとか、身構えられるのは知ってんねん。でも、もっと色んな人に見てもらいたい。分かる人にだけ分かってもらえたらいい。とは言いたくないし、知らないからこそ面白くなるはずやから。
書道知らない人にも、こういう見方がありましたか!みたいな事を出来たらいいなと思う。そういうもんでありたいよね。」
そのルーツがあるから、上田さんの展示には思わずフラっと入って見たくなる衝動が生まれる訳だ。
町家では過去、グループ展で一度だけご一緒しています。
その時とはまた違ったアプローチで、私達に書道の刺激を与えてくれました。
展示タイトル「山水」
風景画は景色。山水は匂わすだけで、そのものは書かなかったり、一部を書いてその先を見る人に想像してもらったりと、色んな要素があるのが山水だと教えて下さいました。
一階が水の表現。二階が地上の表現となった世界をご紹介させて頂きます。
●土間 タイトル「滴」/with浦田恭資
大きいサイズから、細かいサイズのドットが沢山見られます。
片手に墨を入れたバケツを持ち、もう片手で筆を持つ。上から筆を落とし、バケツから弾け飛んだ飛沫が、このドット模様です。単に墨を含ませた筆を紙に向かって勢いよく振り下ろすだけだと、模様に方向性が生まれるので自然な滴の形に拘り、上田さん自身も墨まみれになりながら、この手法をとられました。
その小さな滴が集まり、やがて川となる。
魚が入った水槽からも滴は透けて見えるので、魚が住む水の世界と一体化しているかの様。
水槽で泳ぐ魚が元気に飛び跳ね、水槽から飛び出た飛沫に見えたりも。想像は膨らみます。
●小上がり タイトル「滴」/with浦田恭資
リサイクルガラスを使った吹きガラスの水槽。
この水槽の形を見た時に、上田さんは水滴だと感じたそうです。墨汁が垂れるイメージ。
ブラックウォーターを用い、白色のベタがゆらっと泳いでいます。
●見せの間 タイトル「Cloud」/withセリーヌ・ライト
フランス人 セリーヌ・ライトさんの和紙を使った照明作品。
土間の飛沫が隣の間にも届き、滴はやがて霧となり雲となる。
照明には上田さんが墨の滴をほどこしたコラボレーション作品です。
●喫茶床の間 タイトル「石」上田晋
「山水」/with浦田恭資
床の間に石庭を作られました。掛け軸の文字は「石」
リサイクルガラスの水槽に溶岩を置き、そこにメダカとハゼが泳いでいます。
石庭の職人さんや庭師さん曰く、庭に石を置いているのではなく、地面の下から大きな石を埋めているのだと言う。
水面を境に、石の深さも見る事が出来る石庭。
「自然というと大自然を思い浮かべるけどそんな必要はなく、小さな自然でも山水ってあるんじゃないかと思い書いたんですよ」
●床の間 掛け軸「石」上田さんの裏話
「墨を作る時に、木型に煤(すす)と膠(にかわ)を混ぜたものを木型に入れてプレスするんです。
そしたら型からはみ出ますよね。バリの部分だけをカンナで削り、袋に入れて売ってます。
だから良い墨の削り墨を安価で手に入れる事ができます。提灯屋さんや、歌舞伎の木の板に書くまねきの人達が使ったりするらしいんです。
それを一晩くらい水にふやかしてから、すり鉢でこすって崩してあげます。
歌舞伎のまねきの人達はお酒を入れて、照りを出すそうですよ。私はすり鉢を温める工夫をしています。
そうすると元々持っている細かい粒子が溶け出します。手で摺っているので粒子自体も粗いです。
荒いのと細かいのを混在させると、紙に書いた所だけには荒い粒子が留まります。手で触ったらボロボロ落ちるくらい荒いです。
そこから紙の中のフィルターを通って細かい粒子が走って滲んでいき、こういう強烈なコントラストがバシッと出るんです」
●茶室床の間 タイトル「山」上田晋
タイトル「沈黙」「紙考実験」/with新島龍彦
掛け軸には「山」の文字。
濃い黒の中にも黒のコントラストがあり、ずっしりした山の重み・存在がみえる。
硯は石ではなく焼き物の硯「陶硯」を使用する事で、荒い墨ですったものがより荒い粒子で出来上がるそうです。
硯3つ、墨3つを調合し、それらを合わせて作られている。
床の間に置かれた箱は、造本作家 新島龍彦さんによる手作り箱。
上田さんが書いた紙を抜群の解像度でスキャンし、印刷したものを使用。
墨を落とした半紙に、新島さんが糊付けをして本にし、それを真ん中でバスっと切った事で、墨が滲んで入っていく深さの表情が断面から見えるもの。
「書く時、墨を何種類かに分けているので細かいものほど奥にいく。
書は文字を彫ってたという事もあるので、書道の三千年の歴史をこの中に入れたつもりの本です(笑)
半紙に墨を落とすシリーズは前から作ってたんですが、作品の完成形を欲しいと思い、造本作家の新島さんにお願いして本にしてもらいました。これがきっちり入る箱でようやく完成形の作品が出来上がりました。
箱を持ち上げる時に、ちゃんと指がひっかかる様に工夫がされているんですよ。
まだ文字がない時代だったら・・。言葉がなかったら・・。文字無かったら点なんかな・・。
でも残したい衝動だけはある。でも言葉ないから「沈黙」というタイトルです」
●二階和室 タイトル「山水(石)」「山水(行)/Roots」上田晋
タイトル「痕跡」/制作協力:京都樹脂㈱
畳に置かれた作品一つ一つには「石」を書かれています。
日本庭園で見る事が出来る、石の周りにある波紋のような模様。それを墨の滲みで表現されています。
掛け軸には縦線二本。これは書道でいうと「行」という文字ですが、この間では木に見立てています。
和室には「石(畳)」と「木(床の間)」
隣の茶室には「山(掛け軸」があり、「雲(ライト)」が見える。
この空間全体を通して一つの庭園、山水となっている。
床脇には墨の動きを横から立体的に見えるアクリルパネルを使った作品も。
●天高 タイトル「蹟」上田晋
上田さんは、線は立体だと仰います。
紙に筆を置いている時だけが書いているのではなく、紙に置いた線から次の線へ移る時にも空中では筆が立体的に動きがあるからです。
線は立体。その線をどうやったら抜き出せるのかを考え形にした作品です。
「墨の原料である煤だけを平らに押し固めました。その上に紙を置く。
熱く溶かした蝋の中に煤を入れて、黒い溶けた蝋の液体を作ってから一本線を書きます。
そうすると、蝋は紙を通り抜けて奥まで入っていき、そこで冷えて固まります。固まってから紙を剥がすんです。そうすると線が抜き出せる。というものです。
(吊るした紙の裏面には、剥がした痕跡が凸凹になって付いている)
だから壊れる作品ですね。でも壊れるのも含めて作品でもいいのかな。と思います。
壊れるからこそ大事にするし、儚い事は日本の美意識の最高到達点と言ってる方がいるんですが、その本を読んで、壊れてもいいと納得しました(笑)」
●生け花/ミシェル・ネーワル
今回ウクライナ出身のミシェルさんをゲストに、生け花による演出をして下さいました。
京都に一年間滞在している時に着付けと、草月流の生け花を学び、書道は上田さんに学ばれていた方です。
帰国された後もオンラインで学び続け、本来は7月にウクライナで華道の初個展をする予定だったのですが、出来ない現状となりました。
ドイツ、イギリスに避難されましたが、どうせ避難するのなら大好きな京都に行きたいと願い3ヶ月のビザを取得。
せっかく京都に来たのだから中止になった個展をしたいという事で、別会場で2日間の個展を開催されました。
上田さんの展示ともタイミングが合ったので、彼女に「花置いてみる?」とお声掛けをされ、町家に数点、花を生けて下さいました。
期間中、書道に触れる体験もご用意されました。
芳名帳の記入は筆で書いて貰う。墨汁ではなく、硯で墨をする所からです。
そして日本の文具を取り扱う古梅園さんに墨のサンプルをご用意頂き、縁側でも書道に触れる体験コーナーを設置。
「いつぶりやろ」「小学校以来」という方が本当に多かったです。
ふらっと入って来られた方がこの体験を機に、硯と墨を購入された方もいらっしゃいました。
墨と硯の相性がある事や、道具を持つ面白さを知る。少し背筋が伸びる様な切り替えのスイッチだったり。
体験する事でその人にとっての扉といいますか、一つの入口になってる様に伺えました。
また、1日限定で雨畑硯を作る林京石さんをゲストに、道具についてのトークイベントも実施。
硯職人と、墨屋さんは絶滅危惧種だそうです。
書道する方達も硯で墨をするのは時間がかかりますし、良い墨汁も出てきている。
墨屋さんは墨汁には負けると言って、墨の販売は諦めモードなんだそうです。
そういう意味では、墨や硯の紹介する事ってすごい大事だと、上田さんは仰います。
上田さんは何時間もかけて墨をする方なんですが(時には寝落ちしてしまう失態…)、出会った墨が削られていくので毎回心が痛むそうですよ。
「道具って面白いと思うんだよね。持つことの喜びというかさ。それが使えるってより楽しいやん」
少なくとも、体験を通してそう感じられた方はいらっしゃったのではないでしょうか。
生活で実践するのは難しくとも、その経験を得る事で選択肢が増えることって素敵な事ですよね。
墨が紙に沁み込んでいく深さや、滲みを表す作品だったりと、ご自身がともて墨に魅力を感じていらっしゃる様に伺えます。
「墨って何か起こしてくれる面白さがあるんです。
陶器は人が作って色付けして焼くやん。焼く時って何も出来ない状態で窯の中で何か起こしてくれる面白さがあるやん。
硯と墨って相性があって、1個の硯と墨で黒いものは作れるけど、それが相性がいいとは限らなくて。
作品を作る時に、こんな墨の表情を出したいと思ったら、この墨とこの硯を合わせてこの墨を作ります。
自分で何種類も調合して準備はするんやけど、書いてしまうと後は紙と墨に任せるしかない。
後は何か起こしてくれへんかなー。ていう期待。
任して何か起こしてくれると、思っている以上の事をお越してくれるわけ。それが面白い!それが楽しいのよね!」
その裏では、納得いくマッチが生まれない事の方が多く、何処が違うのか。
天気?湿度?調合した墨?紙と墨の相性?この道具でいけるつもりだったのに上手くいかない。
いいものを書けた感触はあるのに、墨が思ったように化けてくれない。色んな要因をクリアにしても
“俺は頑張ったのに、くそーーー!” とね、さすがの上田さんも思うそうです。
だからこそ、「その時」が生まれた時に「やった!俺天才!」と、笑っておどける一面も。
天候や、書で扱う道具は全て自然由来のものなので「自然相手みたいなとこあるから楽しいよね。」と向き合う楽しさを教えて下さいました。
独自のひらめきと表現で、展示を発信し続ける上田さん。
その根っこにある思いをお伺いしました。
「書道に限らずやけど、長い歴史があるもんて、元々の理由が失われて形だけが残っていくでしょ。
お茶碗3回まわすルールだけが残ってたり。その根本の理由が伝わってないと意味がないと思う。
文字書くときに筆を上下に動かしたり、上げて沈めたりして書いていきますよね。
点を書く時も、筆をぐっと沈めるようにして。そのルーツは元々、紙がない時代に文字を石に掘っていた所からなんですよね。
その刀の動かし方が筆の動きに残っている気がするんです。掘っている様に文字を書く。
なんで書道があって書き残さなきゃいけないとか、元々のルーツをこれからも探りたし、伝えたいんですよね。
そこを忘れたらあかんで。字を書くってこういう事でしょ。ていうのも言いたい。
本阿弥光悦は色んな作品作ってるんだけど、その人のお茶碗が俺は大好きなん。
何でか分からんけど「何となくええお茶碗」やねん。
時代が長い間経っても、色んな人に共通して「何かええなぁ。。」って伝わるの不思議じゃない?
そういうもんを自分も作りたいなぁっていう気持ちがある。
いいでしょう!ってカッコよく見せれるんじゃなくって、なんかええよね。。ていうようなもんを作って、それが人の琴線に触れるというか、そういうもんになってくれたらいいなって思うかな。
今回「在」がテーマでもあったんやけど、ただあるだけ。何か言う訳でもなく、ただ居てるだけでいい、みたいな。そいうものを作りたいねん」
字を書く事が遠のき字を書いた時に汚くて、げんなり凹むことってありませんか?
でも字の上手い下手ではなく、人が書いた一筆は心が伝わってきますよね。受け取った時に感じます。
体験を通して道具の面白さ。書く時間の良さ。そんなキッカケを得た方もいらっしゃれば、展示を目的に来られた方、たまたま引き寄せられる様に入ってこられた方も、今迄と違った視点で「書」を楽しまれた方は多かったのではないでしょうか。
書道がアート畑にどうしたら入れるのかを学生の時から思っていらした上田さん。書道家として幅広くご活躍をされてますが、やっとアートとして受け入れられたように感じた出来事もあり、嬉しかったそうです。そして町家の空間を生かしながら空間を作っていくのが楽しかったと仰っていました