展示・イベント

野中 梓 展

概要
作家・主催者 野中 梓(油絵)
期間 2022年11月7日(月)~11月20日(日)
時間 9:00~18:00

レポート

タイトル「昼、電気をつけた時のお風呂のカーテン」


タイトル「夜、電気をつけて扉を開けた時の時のトイレの壁(西)」
タイトル「夜、廊下の電気をつけずに扉を開けた時のトイレの壁(西)」


タイトル「夜、電気をつけた時の廊下の壁」
タイトル「夜、電気を消した時の廊下の壁」


タイトル「夜、台所の電気をつけた時の廊下の壁」


タイトル「夕方、ベランダから陽が差す時のテレビ画面」


タイトル「青色タオルを掛けた時の洗面所の壁」
タイトル「赤色タオルを掛けた時の洗面所の壁」
タイトル「緑色タオルを掛けた時の洗面所の壁」


タイトル「夕方、トイレの小窓から陽が差す時の洗面所の壁」


タイトル「夕方、お風呂の小窓から陽が差す時のテレビ画面_3」
タイトル「夕方、お風呂の小窓から陽が差す時のテレビ画面_2」


タイトル「夜、廊下の電気を消した時の冷蔵庫の扉」
タイトル「夜、廊下の電気をつけた時の冷蔵庫の扉」


(野中さん)主に描く対象は家の中にあって、光が当たっている冷蔵庫や壁を数年モチーフにして描いています。
家は一番よくいる場所で、昼間の時間帯や夕日が差してきた時間帯だったり、違う条件で同じ場所を見た時に、“あれ?さっきもっと黄色かったのに” とか、”こんなに赤かったっけ?” という風に色や光り方の違いを感じることがあって。
それってすごく面白いし、それを描きたいと思っています。一方で油絵具の厚みや、色を重ねられる特性にも凄く興味を持っています。

昔は写真見ながら描く時期もありましたけど、写真は後から思い出す事のできる資料みたいな位置づけで、実際に物を見て描く向き合う時間って実は大事なんじゃないかな。てある時ふと思いました。
なので、だいたいこの時間帯になったらこうなるな。ていう時にスタンバイして、ちょこちょこ描いていってます。

Q.その時の光だと、1時間もしたら色味変わりますよね。ちょこちょこ何日にも分けて描くって事ですか?

(野中さん)そうです。塗るのは全面塗りますが、何層も何回も塗り重ねて最終的に重なる厚みが丁度いいと思っているので “よし、今日の夕方は晴れるな!”と思ったらスタンバイして描いてます。

Q.それは水彩絵の具でさーっと描くより、油絵の具の方が相性いい。その厚みがあった方が良い感じですか?

(野中さん)まさに相性って感じす。水彩は色彩の美しさや、滲ませる色んな側面がありますが、油絵の具は最終的に固まった時に、絵の具の層にも光が差して、中で光が内包される感じというか。そういう色と光の塊になる感じが気になっています。
絵の具の特性とモチーフの相性がピタッとくる瞬間は、絵描きの皆さんあると思います。
例えば雨の日の山に雲がかかったなら、水墨画じゃないと。みたいな。私の場合は、油絵具と平らな壁だったんです。

Q.光がテーマと思ってましたが、平らな所が重要なんですか?

(野中さん)鉛筆で形や人の姿を描く事もありますよね。輪郭を描いたその境界線によって、絵が生まれると思うんです。
線で描く方がカッコいいし、線で描く憧れもあるんですけど、私は塗った一塊の面になったところで何かか出来ないかなと思って。
影の境目はあるんですけど、線を引かない絵になるんじゃないかと思って。
今は絵の中に輪郭がない様なものを意識的に選んでいますね。今回展示しているのも、全部家の中の壁や冷蔵庫、テレビ画面とか平らな所ばかり描いています。

Q.平らな所を選ばれていますが、以前は違ったモチーフだったんですか?

(野中さん)白い布をクシャッとして置いて、その一部分を描く事を数年やっていました。
ちょうど描きたいものがなくて、布だったら無限に形が生まれるし、やっていて面白さはあったんですが、無理やり描いてる感もあって。布のシワのバリエーションになっちゃう引っ掛かりもありました。
もう少し遡ると、今みたいにたまたま出会って「そこすごい綺麗!」って思って描いてた時もありました。
そのたまたま出会えた嬉しい気持ちと、何となく妥協で布の絵を描いてるのを天秤にかけた時、出会いの大切さを見失ってないだろうか?と思って布を描かなくなり、壁とかを描く様になりました。

Q.光も一瞬の出会いですもんね

(野中さん)一つ描き始めると、感覚が研ぎ澄まされていく感じがします。
同じ場所でも描いてる途中にだんだん日が暮れて、それもいいなって。そうしている内に、作品の数が増えていってますね。

Q.家の中だけじゃなくて、外に目を向ける事もありますか?

(野中さん)散歩しながら景色を眺めるとか、川の流れる水面を眺めるとか結構好きです。
ただ、通い詰めても同じ条件で出会うのは難しくて。
写真や動画のデータを見ながら川の絵を描くのも一瞬だけありました。

Q.それが続かなかった理由は、対象物と対峙して描く方に重きを置いたからですか?

(野中さん)そうですね。「スマホ見て描いてるなぁ」とだんだん思ってきて。
それがダメな訳ではないけれど、過去のものを再生してるいる感覚になりました。
いいと思った壁の一瞬の出会いでも、同じくらいの時間帯と気候だったら「そうそうこうなるよね」っていう風に、限られた季節の中では出会えるので。

Q.大学時代ずっとクロッキー会をやってらして、あれも一瞬で最小限の線で全体を感じさせるように描く。
 当時から、今に繋がっていってるんでしょうか?

(野中さん)振り返ってみたら、繋がっていたと感じます。
油画の1、2回生の間に練習で描くデッサンやクロッキーがあって、もっと自由に好きな絵を描きたいと思う人は多かったと思います。
3回生から自由制作が始まるんですけど、私は“どうしよう”と思いました。
皆が何を描くかっていうと「私の内面を」とか、キャラクター、社会的なテーマで問題提起とか。
当時は「みんな凄いなぁ。絵のイメージは一体何処から生まれるんだろう」て結構悩んだんですよ。
私自身もキャラとか描いてましたが、中から出てきてる状況がすごく羨ましくて。

海遊館に行った時に水槽のガラスに、水の断面が見えるのがすごく綺麗で「これ描いてみよ」と思った辺りからようやく始まる感じです。
その辺りから平らな面の意識が生まれて。学校の壁面も気になりだして3回生の終わりに壁面シリーズを実は少しだけやりました。
でもその時は自信がないので「なんで描いたの?」と聞かれても説明が全然言えなくて。
全然手応えもなく、あっさり辞めちゃいました。

Q.作品は光の一瞬を捉えてますが、神々しい所でもなく、ささやかな日常を切り取った、いつでもそこにふと気づけばある様な所を切り取っていて、そんなところにも親近感、見ててホッとします。

(野中さん)私はアートで誰かを救いたいとはあんまり思ってなくて。
素直に「自分はこう思いました」って言える状態で作りたい気持ちがあって。それが結果的に誰かと共鳴してるっていうのは良いと思うんですけど。
そう思うと、とことん個人的な感覚みたいなものを研ぎ澄ましていった方が、自分にとっては良いんじゃないかな。と思ったりしています。

Q.絵の具を塗り重ねる中に光を内包させたり、壁の光の当たり具合って無限に変わっていくわけで終わりがないですよね。

(野中さん)展覧会の締切に合わせて切る時もあります。
あとは、例えば冬の日差しで描き始めて、描ききらないまま冬が終わってしまった時。
気が付けば季節は巡り、この冬を逃したら、またもう一年過ごすのか…みたいな。続きを描いてみようと思った時に怖くて描けなかったんですよ。
でもやっぱり冬が来たら描いてみたいと思って3周目に突入してます(笑)

Q.1年前の作品を出して、その続きを再び同じシチュエーションで描くんですね。何だか絵に優しいですね。絵に合わせて待ってあげてるというか。

(野中さん)絵が生まれていく過程が好きっていうのもあります。
展示作品に対して、何が描かれてるのか。どんな意味を指示してるのか。作者がどんな生い立ちを過ごしてきたのか。
そういう情報を一旦抜きにして、どうやって形を拾っていったのか。どうやって絵の具を重ねていったのか等、出来ていくプロセス自体の面白さに「絵っていいなぁ」と、人の作品を見た時にしみじみ思うんです。
だから、絵画の持つ存在感や、絵の具を塗ったらこうなるとか、昔の画家はこうだったのかなとか、大昔からあるもので追体験をして考えたりする時もあります。


Q.今回の写真の作品は?

(野中さん)写真はちょっと番外編みたいな感じです。
日光写真のシリーズはコロナ禍の時に何気なくやったら、めちゃくちゃ面白いやんこれ!て、続けてたんです。
影をその場で拾って持って帰れるなんて、魔法使いの域なので子供の頃に帰ったようなワクワク感がありました。
今や写真って、みんなスマホで撮るでしょ。でも昔は写真が物として残ってて。
スマホで撮れても、有るのか無いのか…。
でも日光写真は機械を通さずに、紙を感光させてその陰の形が残るという、その時の一瞬の出会いだと思ったらバチッ!と、はまりました。
一年間ぐらいずっとあの紙を持ち歩いて、いい影はないかと探し回ってました。
もっと山ほどあるんですよ。いつか機会があったら展示したいと思ってて今回展示させて頂きました。


その日光写真がきっかけで、改めてアナログな写真、フィルム写真をやってみようと。
でもその写真を現像しにカメラ屋さんに持って行くと、複製可能な感じがやっぱり写真だなぁと思ったりして。
たぶん一点物みたいなのが好きなんですよ、データとかじゃなくってその一点みたいな。


Q.今迄展示されてきた壁ではなく、土壁が多い町家でしたがどうでしたか?

(野中さん)普段と違いますね。いい展示になったと思っています。すごく特殊な経験をしました。
建物自体に時間の移ろいで色んな光があるので、作品も光の当たり方で全然違う様子になるというか。時間の移ろいと一緒に、作品も見てもらえた気がします。
お客さんにも話が通じやすかったです。「あぁ!」と反応もありました。夜に来られた方は、朝にも来たかったな。とか。

今回作品置いてみて“いつもと違う所でも展示出来るんだ”と体験になったので、もう少し視野を広げて色んな所でやりたいと思いました。
あと、間合い・空間を意識する機会にもなりました。
昔ながらのお家って、縦と横の線が沢山あるとか、光も複雑に入って。たっぷり空間はあるけど要素は多いというか。
そんな事はあまり気にしてなかったなぁ。と搬入の時に思いました。
並べようと思ったらもっと並べられるけど、なので持って帰った作品もありました。

4面が白い壁だと、作品同士のバランスだと思うんですよ。正面にこれと決めたら、それとのバランスとったり作品同士の距離になるけど、町家だと全部ひっくるめてな感じです。

Q.それは難しかったですか?

(野中さん)難しかったけど楽しかったです。茶室の床の間が評判よくて嬉しかったです。
小ささゆえに1個の点として目立つのもあるんで、サイドには置かなかったり。そういう風な視点にガラっとなって、それも出会いなので「面白い~」となりながら展示してました。


平らな壁面は生活していく中で必ず目にはいる物体です。そこに気に掛けて足を止める事って、日常ありますか?
野中さんとお話した後、少しだけ意識してみました。町家だと自然光で建具の影が面白く入るので。
あぁ、野中さんだったらここを切り取るのかな~。と。
しばらくこのシリーズは続くと仰っていたので、野中さんならではの視点で切り取る作品、これからも楽しみです。