展示・イベント

墨に生き、黒で遊ぶ

概要
作家・主催者 武田裕子(日本画)/ 玉井祥子(和紙作家)
期間 2022年11月23日(水・祝)~12月18日(日)
時間 9:00~18:00
備考 ■作家在朗日 11月23日
 玉井祥子 11:00-14:00
 武田裕子 11:00-13:00, 14:00-16:00

レポート

町家の紅葉が紅く色づく季節。日本画家の武田裕子さんと、和紙作家の玉井祥子さんが「墨」をキーワードに展示して下さいました。
武田さんは春の個展で初めて挑戦された墨一色の日本画を関西で初お披露目。
玉井さんは和紙を起毛させて墨で描き、立体感ある作品です。


●武田裕子
1983年 東京都生まれ
2012年 東京藝術大学大学院博士後期課程修了(文化財)
修了作品野村美術賞受賞
2013年 ポーラ美術振興財団在外研修(中国)
2014年 中国美術学院中国画系花鳥画高級進修生修了
2016年 個展『日と月の庭』靖山画廊(東京)
2017年 ポーラ・ミュージアム・アネックス展/POLA MUSEUM ANNEX(東京)
Affordable Art Fair/ストックホルム(スウェーデン)
2018年 個展『花見ルところ』/靖山画廊(東京)
Shanghai Art Fair/上海(中国)
『当代日本画展』/IMAVISION GALLERY/台北(台湾)
2020年 個展『呼吸するけしき』/日本橋三越本店(東京)
2021年 伊藤忠商事2021年カレンダー採用
『FROM-それぞれの日本画-』/郷さくら美術館(東京)
現在  東京藝術大学非常勤講師
2021年  「仁和寺・国宝のある芸術祭」に参加。
2022年 青山にて個展

「窓・月光」
画面を窓に見立てて、窓越しに見る外の景色をイメージして描きました。梅の古木が月光に照らされて静かに呼吸しているよう。


「木立つ丘」
墨は、同じように描いたつもりでもいつも違う表情を見せてくれます。
なかなか狙い通りにならない反面、思った以上にイメージを引き出してくれる事もあります。この絵は描いているうちに、よく通る公園の風景に見えてきました。


「燐花」
花が咲く様子を、暗闇で火花がはじけるような鮮烈な印象に感じる時があります。
刻々と変わる光の状況や天気によって、見るたびに表情が違って見える作品です。


床脇「花の庭」
カラッと晴れた昼の庭先をイメージして描きました。

床の間「花」
風に揺れながら咲く桔梗の花を描きました。

床脇棚「菊花」
練習のつもりで描いたものが実は一番活き活きとした絵になることがあります。


「窓・朝日」
画面を窓に見立てて窓越しに見る外の景色をイメージして描きました。
少し強い光が窓に差し込む春の朝です。


左「梅」
梅の古木と地面に散った花びらを描きました。植物が老いていく時に現れる有機的なフォルムと水の中で動きまわる墨の表情に親和性を感じています。

右「森に月・明け」
明け方に森の中を散歩するようなイメージで描いた作品です。
画宣紙に浮かび上がる薄墨の揺れるようなトーンは、私にとっては月の光を思い起こさせることが多い。


「水中花」
水の中で咲く架空の花を描きました。


玉井祥子
1987年 高知県生まれ 広島・横浜育ち,
2011年 東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科卒業,
2013年 安宅賞, 同年 佐藤国際文化育英財団第23期奨学生(買上),
2014年 東京藝術大学大学院美術研究科 描画装飾(中島千波)研究室修了,
同年Japan Society NY Summer Artist Residency Programで初渡米,
平成29年度文化庁新進芸術家海外研修員(NY), 2015年〜19年NYにて制作,
2014年,15年,19年にNY・Ronin galleryにて個展.
香港,台湾,ポーランド,NY,にてグループ展やアートフェアへの参加多数.
現在,アメリカの美術館(3箇所),佐藤美術館(東京)に作品が収蔵。
2021年 「仁和寺・国宝のある芸術祭」に参加。
2022年 全国の大丸などで巡回展示

「紙仏(飛天 一)」「紙仏(飛天 二)」「紙仏(飛天 三)」「紙仏(飛天 四)」「紙仏(飛天 五)」


左「before becoming the square」
「正方形という形態になる以前」というテーマで、点や線の連続性の解体と、知覚の物質化を目的に描いたものです。

右「Inframince Geometry VI」
タイトルの“Inframinceは、「極薄」等の意味をもつデュシャンの造語です。この概念について、自身の考えを示した作品シリーズの1つです。 その考察とは、諸知覚の再現性。皮膚感覚の隔たりと結合。情感の反復を探求する3点です。


左「紙仏(吉祥天女像)」
吉祥天は、福徳安楽、五穀豊穣を与える天女です。宝冠を被り、高貴な女性の装束を身に付け、左手に如意宝珠を持っています。

右「紙仏(水月観音)」
水月観音とは、三十三観音の一つで、円相状の光背を負う姿が特徴です。水辺の岩座に腰掛け、かたわらには柳と浄瓶があります。


掛け軸「ことわり」
タイトルのことわりは「理」の意です。物事の筋道や道理を示しています。
本作は、世を構成する要素の一部を描き入れた軸作品です。

床脇「Floating Geometry」
「柔らかい幾何学/浮き上がる幾何学」というテーマで、点や線の連続性の解体と、知覚の物質化を目的に描いたものです。


玉井さんにお話を伺いました。

和紙を起毛させ、やわらかな立体的絵画を制作する玉井さんの作品には、高知県いの町で作られている土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)という和紙を使用されています。
江戸時代から和紙作り、人間国宝の浜田幸雄さんがご夫妻で作られているものですが、幸雄さんが亡くなられた今はお孫さんが受け継がれています。
この紙に出会う迄は普通の紙にボールペン・ミリペンで、ただ細かく書ければいいという意識で細密画を描いておられました。
細い線を描ける紙を探されていた玉井さんがこの和紙の存在を知り、とても薄くて驚かれ、工房を訪ねてご夫妻とお話をし、和紙の凄さ・魅力に魅了されたそうです。
1000年持つらしく、作品を通して土佐典具帖紙を知って頂けるのは嬉しいと仰っておられました。

経歴にある通り、大学では音楽学部音楽環境創造科を卒業されています。
ピアノをずっと弾かれていて、映画音楽の研究をしたいと入学。作曲も出来るゼミに入られましたが一回生で“私には全然できそうにない”と思われました。
さてどうしようか?と考えながら、元々好きだった細かい絵を単に趣味として描いておられたそうです。
卒業後は絵本などを作る児童出版社に入社し、玉井さんは保育園で子供が使うハサミやクレヨンのプロダクトデザインをお仕事にされていました。
が、きちんと絵を勉強したい気持ちから仕事を辞めて院に入り、描画を学ばれます。

なぜ和紙を求めたんですか?
結局細い線を描いた時に、線の細さって究極的には紙の繊維の質というか、細さで決まるんだな。というのが分かって細い繊維の紙を探し出しました。

動画では筆でもボールペンでもない、金属の様なもので描かれていましたね。
漫画家さんが使ってるんですけど、つけペンという鉄製のペンで、先に墨を付けて描いています。
金属なので和紙にひっかかって繊維が立ち上がったんです。そういう偶然でした。

思わぬ出来事?
元々この紙は絵を描くための紙じゃなくて、美術品の洗浄とか、どちらかというと裏方役。すごく綺麗だけど、表には当たらない紙なんです。
フワ~てなったのは偶然なんです。
なんか毛羽立っちゃったな~。でも何かこう不思議な見え方しますよね。あの独特の感じが今まで私が描きたかった空気間でぴったりだったんです。
わぁこれだー! そこから始まりました。

卒業後、渡米されていますが期限を決めて行かれたんですか?それとも気が済むまでやってみようだとか?
ジャパンソサエティーという非営利団体あちらにあるんですが、アーティストレジデンスプログラムで日本から招聘するっていうのに選んで頂きました。
期間が1ヶ月月だったんですね。幸いにもギャラリーが一ヶ月の間に見つかって、本当にラッキーだったんですけど個展をやって頂きました。
スタジオビジットっていう形でギャラリーの方が結構見に来て下さって「うちで個展しない?」と言って下さったり。
坂本龍一さんから突然、帰る直前にFacebookにメッセージが入って、スタジオまで作品をお持ちしてお会いしました。
その頃は和紙で抽象画をしていたんですが、作品を見た方が、音みたいなイメージもあるね。と仰って下さる方もいるので、音楽的な雰囲気の繋がりがあるのかなぁと。

1ヶ月して帰国し、これはまた行くしかない。と思ってお仕事したり、ビザの準備したりで半年後ぐらいにまた渡りました。
その間に文化庁の研修員とかでお金も頂いたり、自分の貯金も持って行って、やるだけやってみようと。

二度目の渡米。反応はいかがでしたか?
海外でやる時、やっぱりオリジナル独自性っていうのが見られるので。
和紙と墨は、知識としてイメージがあったとして、でも何故かフワフワしている作品に
ニューヨークでは面白がって頂いたみたいです。平面なのにワフワしてるのは、あまり目にしないので。
結構、繊細な感じだったんですが抽象画だったので見やすいというか。

そこから帰国しようと思ったきっかけは?
アメリカには4年いて、今、出来る事はやり切ったという手応えと、ニューヨークはどうしても階級社会というか、アートワールドもすごく狭いので。
本当に顔見知った者同士で進めていく部分があって、今の自分ではこれ以上入り込める余地もないと思いました。
アメリカで結婚し、夫が日本でする仕事の誘いもあり、そのタイミングで京都に行く事にしました(玉井さん32歳)
帰ってきて3ヶ月後ぐらいからコロナが始まったので、帰国にはいいタイミングでした。

仏画をやるきっかけは何だったんですか?
仏画は去年2021の夏から始めました。
仁和寺の黒書院一棟を一人で使わせて頂くことになって、場所が本当に素敵なのでそこに似合う作品を飾りたいと思って。
真言宗でいらっしゃるので、書籍を読む程度ですけど勉強して、せっかくなので真言宗にまつわる様な画題を選んで描いてみたら、和紙を起毛させた技法がぴったりで。これからやろうと思ったきっかけでした。

抽象的なものと、仏画を描く時では、作品に向かう気持ちというか姿勢というか、何か違いますか?
アメリカにはコンテンポラリーアートをやりたいと思って行ったんです。
どうしても海外に行くと余計に、あ。自分は東洋人でアジア人で日本人なんだ。
外から来た人間なんだっていうことを自覚せざるを得ないんですけど、そうした時に自分が欧米人になれるわけでもないし、そういう感じでコンテンポラリーアートをしたとしても何の意味もないんですよね。
日本人としての自分が美術を続けていく時に、どういう作品がきちんと意味を成すのか、改めて考え直す機会もあって。
なので仏画は、その一つのやり方だなって私は思ったんですけど。
抽象の方はわりと自由にやっていますが、仏画は歴史や、意味がある図柄なので、真面目さのベクトルがちょっと違いますね。姿勢を正して集中してきちんとやる。みたいな気持ちでやってますね。

墨を使ったモノクロ作品だけを続けておられるのですか?
この和紙と出会った時は墨がピンときました。あまり岩絵の具とか使ってきてなくて。こないだ国立博物館で国宝展をやってたんです。
昔の仏画があって、色付いていたのが退色してる物になりますが、とても鮮やかですよね。オレンジとか緑とか。

でも実はニューヨークで一回、和紙にアクリルで結構色を使っていた時があったんです。
刺激的な街なので強さとか、アバンギャルドと言うと古いんですけど、大人しくなくても大丈夫なんだ!という感じで作ったんです。
今使っている和紙にアクリルをのせて厚塗りだったのを固めてたんですが、和紙の良さが完全に殺されたみたいな作品になっちゃって。
そういう大失敗の時期がありました。
そこからちょっと色から離れてモノクロだけに戻ったんです。
今回展示したのは小さめサイズだったんですが、もっと大きいのを描いて、きちんと彩色してもいいかもしれないですね。

この和紙と出会ってなければ、もしかしたら今も模索中というか、今の作品も生まれてなかったかも?
そうですね。多分、美術やってないかもしれない(笑)
普通に働いていたと思います。

和紙を起毛させるオリジナルの技法に出会われたのは、強みですね。
そうですね。嬉しいです。
奉納させて頂く事もあり、紙を作られた浜田ご夫妻にはとってもお世話になったので、お二人の名前も入れさせて頂けて。
ご恩返しみたいな感じで嬉しいです。

これからについて
白の作品は、ドイツのハイスパークルという顔料をのせています。


今年3月に東京のホテルで展示させて頂く時に初めて白だけの作品を作りました。これからもやりたいですね。
また海外へも行くつもりではあるんですが、ヨーロッパにちょっと行ってみたいですね。

昔、浜田さんには同じ事だけずっとやってちゃ駄目だよ。て言われて。
今の技法は大事に続けていきたいですけど、シリーズはいくつあってもいいと思ってるので、今やってる事も続けながら、でもそれだけに留まらずに違うのも探しつつ、これから長く続けたいと思っています。