展示・イベント

意臨・形臨 書道におけるキュビズムの世界 〜視点の複数化による言葉の解体と再構築〜

概要
作家・主催者 白石 雪妃(書道)
期間 2023年8月11日(金)~8月27日(日)
時間 9:00~18:00
備考 ■「此処」〜キュビズムにおける音の跡〜
  オープニングパフォーマンス約30分(解説含)

日時:8月11日(金)
   ❶13:30〜14:00
   ❷16:00〜16:30

投げ銭制(ご理解ご協力のほど宜しくお願いいたします。感謝の気持ちとしてポストカードお渡し致します)

出演 : 此処 山田洋平/ 白石雪妃

現存する全ての音の形を踊りの形に変え、この場に見えるもの、見えないものを書という形にしていく。
今回は展示のテーマであるキュビズムを軸に、多方面から見た音の形と踊りの形と書の形を此処の空間に表します。

此処(ここ)は、舞踊家:山田洋平と書家:白石雪妃を中心としたパフォーマンスユニットです。
金沢21世紀美術館での共演を経てユニット結成、2022年金沢ナイトミュージアムで初演。

「此処」は、上演される建築物、そこにまつわる人々の記憶を、時代・歴史・文化の変遷とともに掘り起こし、現代と結び付け、
いまこの瞬間に放たれ消えていくパフォーマンスへと昇華させていきます。

レポート

展示テーマである「*キュビズム」
*ピカソなどが色々な角度から見た物の形を、一つの画面におさめた20世紀初頭の新しい美術表現。

白石さん「書は最初が平面なので、それを角度の違う所から見たものを、また平面に戻すような。
解体して、また平面に戻すような作業で、その上で何かちょっと立体になっていったり、平面のままの所にそれを書いたりとか。そいう事をしているんです」

作品は一見、抽象画のように見える線や、字がどこに書いてあるのか?
実は作品の全ては、文字で構成されています。
その字を読んでもらおうとは思ってないと、白石さんは仰います。
しかしそこには、筆遣いのリズムや息づかいが伝わってきそうな作品のご紹介です。


タイトル:「存在と余白」
タイトルの字を書き、それを立体化させて、それを上から見た図。そういうものも重ねて書いているんです。
だから、このままでは読めないのですが、余白の所が所々見えるみたいな感じになってます。


タイトル:「許容と忘却」
これも同じ様に、縦に切った所を書いたり。一回立体化させるみたいな。
書道で使う言葉「意臨形臨(いりんけいりん)」という、毎年行われる展示があります。
・形臨(けいりん)は、お手本を真似て書く事。
・意臨(いりんは)は、その人のリズムや気持ち等をくみ取って書くこと。
・背臨(はいりん)は、十分にお手本を記憶できたところで、お手本を見ずに、記憶を頼りに自分のものにして書く

この作品は背臨(はいりん)になりますが、絵画の手法とかを「書」に置き換えてます。


タイトル:(左)「洸惚」/(右)「抱擁」
書いた文字がタイトルになっている。
白い所には、小説家 泉鏡花の詩がそれぞれに書かれてある。

「洸惚」
黒髪の花唯一凛、月の光を浴びてろうたけた優しい顔で熟とみて頬を傾ける

「抱擁」
蒼く月かと思う草の影が映ったが忽然と天開けて見は雲に包まれて莞爾と微笑む


タイトル:「莞爾(にっこり)」
白い所には、小説家 太宰治の詩が書かれてある。

「莞爾」愛とは肉体の抱擁である


パフォーマンスの時に書いたもの。
ランボーの詩「永遠」の部分的なフレーズの一部分を書いている


タイトル:「言いようもない うるわしいものの影」
あえて薄い色の墨を用い、詩を重ねて書いている。
「人の心を奪う微笑み ひそやかにやさしい想いは清らかに慕わしく輝きにおう あの唇と蒼い瞳に幸よ宿れ 唇は嘆きに開かれることなく 瞳は涙に目覚めることなく 雲はかなたの陽を浴びて深々と柔らかな色に染まり 迫りくる夕闇の影も 曇りない喜びを囁き 心は歓びに酔う」


タイトル:「うるわしき弱虫」
白石さん「これは私の言葉というか、何かをやっていく上で色んな感情(自信の無さだったり)があって、例えば筆を置く時に、もの凄い緊張感があったりして、凄く弱い部分があるんだけど、それだけ悩んで悩んだ末に置いたものは、凄く愛おしい気持ちにもなるんです。
美しいと書いて「うるわしい」と読む詩があり、この言葉が美しいなと思って。
その字を実際に書いてるんですが、真っ黒になって読める状態ではないけれど、絵として見てもらってもいい」


タイトル:「視点の移ろい」
白石さん「漢字の文字の一部分(線)を色んな角度から見たもので、これは結構、抽象的な感じです。
文字として書いているものではないです。
掛け軸って壁についている物ですが、これは壁ではなく、浮かせる事で平面とはちょっと違う、三次元になったと思います」


タイトル:「イチ」
白石さん「漢字の一なんですが紙を立てて書いているので、それが自然と垂れているようになっています」


タイトル:「MUNI~唯一無二~」
ボンド墨という、ボンドが入った墨で、唯一無二の、無二をアルファベットで書かれています。
とても筆跡が分かりやすいですよね。


タイトル:「生きても死んでも」
タイトルの言葉が繰り返し、書かれてある

白石さん「花の作品は、アクセサリーのデザイナーさんとコラボレーションしているブランドがあるんです。
インテリア関係もしているので、下にあるワイングラスやクッションも」


タイトル:①「人生に一服を」(床脇)/②「茶筅ー日々旅にして旅を栖とす」(床の間 左)/③「振出ー栖ー」(床の間 右)

乾漆作家の楠田尚子さんとのコラボレーションユニット「Black echo」による作品、
「人生に一服を」のシリーズから作品3点。
2年くらいかけて作られた作品で、とても可愛らしい茶道具です。
① には「一服」の文字が書かれてあるのですが、蓋を開け、箱の内側にも文字が書いてあるのがお洒落ですね。


タイトル:「光が影か」
漢字の「一」を書いた作品。
白色の部分を、白石さんが書かれた文字だと思いませんか?
それ逆で、黒の墨で「一」をひたすら、重ねて書かれているんです。白い所は、カスレで何も書いてないところです。


タイトル:「私~I was just me~」
奥のパネルと手前のアクリルの二層に分け、「私」の文字を「偏(へん)」「旁(つくり)」で、書いている。
赤い所「I was just me」の文字が見える(私は私だった)


一番最初、書にたずさわったのはいつですか?
5歳の時に書道教室に行きました。姉が先に習っていたので、後から私も。
公民館みたいな所で、おばあちゃん先生に習ってました。結構、褒められるから、いい気になって。
自分がおばあちゃんになった時、教えられたらいいなと思ってて、そういう感じでやってました。他の習い事もやったけど、続かなかったです。

小学校の時に、そのおばあちゃん先生に「お習字の先生になりたい」と言ったんです。
その時は否定も肯定もせずに聞いてくれてたんですが、私の親に「これで生きて行くのは大変だから、辞めた方がいいわよ」と言ったらしいです(笑)

引っ越しても、お習字だけは続けてて。中学は選択授業で書道を選び、大学は書道に関係なく普通に入学したんです。
で、卒業後は事務で就職もしたんです。今じゃ考えられないけど(笑)
書道を勉強する為にお金が結構必要だったので、その為にお金を稼ぎながら修行をするみたいな。

修行とは?!
会社に行きながら書道の専門学校に通い、そこで先生について。

会社で仕事をする時、専門学校で書をする時、向き合い方が全然違うと思うんですが。
ストレスの解消なのか、どういう切り替えでしたか?
仕事は書道の為。会社出たらもう考えない!もの凄くONとOFFがはっきりしていましたね。
でも今はONとOFFが全然ない。OFFの時も、あ!これこうやったら…。
でも、そういう方が自分も楽というか。

いつのタイミングで会社辞める事になったんですか?
師匠が亡くなったんですね。
それで、その組織から外れたんですよ。古い世界ですから、まぁ色々な面で凄く嫌と思う所もあって師匠が亡くなった時に、もうスパっと。
自分が先生になろうと思ってたら、その組織にいた方がいいかもしれないけど(階級とか、自分が審査する立場になるとか、自分の生徒に級をあげられるとか)
でもそういう教える事は目指してなかったので。(依頼があれば今も教えてますよ)
今、書道家と名乗ってから15年たつんですが、生きていける様になりました。

書道で表現するところに身を置かれた、きっかけは?
あるギャラリーで、絵からインスピレーションをもらって書く意臨形臨(いりんけいりん)シリーズをやり始めてから今5年目なんです。
そのギャラリーは結構、現代アートを取り扱う所で、自分のやりたい事をやらせてもらってる感じなんです。
パフォーマンスライブの時は、すごく字を崩して書いてるので、その頃からそういう節があったのかな…。

私は読んでもらおうと思って書いてないから。
読める事が前提で作品を作る事も勿論あるので、それは勿論読んで欲しいですよ。その読むものから何か感じて欲しいと思う時もあります。

書って色んなところに関われるなと思って、そういうの面白いです。
コラボは色々探っていって、出来てきたかんじです。

パフォーマンスやり始めた時は賛否両論ありました。
書をこういう形にするのは、書道の価値をさ下げるとか。
でもそれをやり続けていると、それが普通になってきて応援してくれたり、「今度見て見たいな」とか。

白石さんと舞躍家の山田洋平さんとのパフォーマンスユニット「此処」
建築、そこにまつわる人々の記憶・歴史・生活・そして来場者。それらと目には見えない対話の中で、ここだけの瞬間を即興でパフォーマンスして下さいました。

ライブパフォーマンスは好きだから?それとも何か広めたいとか?
パフォーマンスは好きですね。広めるのは念頭になくて。
パフォーマンスを見て凄くはまる方もいらっしゃいます。そいうのは凄く嬉しいです。
普段は生音の演奏でするんですが、お客さんの雰囲気とか緊張感が変わるといういか、その時にしか分からないものだとか。
墨を落としきった時と、乾ききった時とも違うし、その臨場感、立体感は面白いと思います。

子供の頃にお習字を習った先生、この世界で食べていくのはしんどいから進めない。と仰った先生。
その先生とは、今どうされているか連絡を取ってないので分からないそうです。
「書は古い世界だから、今のやりかたを受け入れてくれるかは分からない」と仰っていましたが、
書家として、独自の表現で全国でご活躍されているお姿はきっと、誇らしく喜ばれるだろうな。と思いながらお話を聞かせて頂きました。

町家でも、音量に配慮して頂きながらパフォーマンスを実施して下さり、有難うございました。