展示・イベント

現代性の環境—後半—

概要
作家・主催者 兒島朋笑(サウンドアート)/河合将也(メディアアート)/中岡孝太(映像)/中村駿(現代アート)/ふじかおる(デザイン)
期間 2026年3月27日(金)〜4月12日(日)
時間 9:30~18:00
備考 企画:大久保美紀
主催:情報科学芸術大学院大学[IAMAS]
協力 :art-sensibilisation

兒島朋笑《できるだけ合わせず、なるべくすれ違う》(2025年〜)

公式サイト:https://www.iamas.ac.jp/gendai/

レポート

「現代性の環境」は、IAMASの学生たちによるメディアアートの展覧会です。
便利で効率的なメディア環境の中で、私たちの考え方や感じ方が似ていく現代に対して、作品を通して「それって本当に当たり前?」と問いかけるような、私たちの感覚がどのように形づくられているのかを見つめ直す内容でした。
AIやテクノロジー、環境問題までさまざまな視点から難しく考えるというより、アートを通して少し立ち止まって考えられるような展示でした。


◉河合将也
愛知県・渥美半島出⾝。IAMAS22期⽣。IAMASでは⾃転⾞を媒介に、⼈間とテクノロジーの関係性を批評的に捉える作品を制作。現在は物理的なチェーンをもつ⾃転⾞から、不可視のチェーンであるブロックチェーンへと領域を移し、表現活動を⾏う。

タイトル《⾃転⾞⽣命体 Cycloborg》
⺟なる⾃転⾞と⼈間が共⽣するサイボーグの創造を通じて、⾼度テクノロジー社会で求められる新しい倫理観や技術観を探究するプロジェクトとして構想された。ペダリングと呼吸を強制的に同期させるRespiCycle Systemによって、私たちの⽣命維持は⾃転⾞に委ねられ、移動環境でスピルリナを培養するTeraCycle Systemによって、⾷糧や⽔分の摂取すら外部化される。映像では⾃転⾞に従属した⼈間の葛藤が描かれるが、その過程で⾃転⾞という技術的な存在との関係は移り変わっていく。テクノロジーの過剰について描く本作は、テクノロジーとのハイブリッドという今⽇の私たちの⽣き様そのものについて、私たちに再考を促す。


◉兒島朋笑
2001年富⼭県⽣まれ。IAMAS 23期⽣。社会システムがもたらした⼈間同⼠の出会いの喪失を背景に、
1990年代に展開されたリレーショナル・アートの視座を継承しつつ、現代における「関係性のアート」
の新たな可能性を模索する。

タイトル《できるだけ合わせず、なるべくすれ違う》
現代のSNS環境において常態化している⽐較や承認を基盤としたコミュニケーションが、ある種の同質化社会を形作っていることを批判的に考察するリレーショナル・アート作品である。
今⽇の⽣活の中で私たちの価値観は画⼀化され、異質な他者との出会いの機会は失われている。
作品を構成する複数のスピーカーは共棲する異種の⽣きもののように配置され、同質化社会について議論する声がざわめく。私たちはそこで多様な他者の声に⽿を傾け、また⾃らも誰かの思考をゆさぶるような「庭」の体験に誘われる。


◉中岡孝太
滋賀県⽣まれ。⼤阪市⽴⼤学商学部卒。ソニー・コンピュータエンタテインメント、テレビマンユニオ
ン、中京テレビ放送などを経て、情報科学芸術⼤学院⼤学[IAMAS]へ進学。⽣成AI時代に通⽤しうるドキュメンタリーの映像表現と、その⽅法論を探究している。

タイトル《one day ///tokyo (neo/x)》
作者がかつて⽣活していた“東京”の断⽚的な記憶を、AIとの協働によって呼び起こす短編ドキュメンタリーである。
映像の独特な質感は、⽣成AIによる映像をモニターに映し出し、それを⼿持ちカメラで撮影することで得られたものである。仕事仲間との再会、酔ってなくしたメガネ、花⽕⼤会の中⽌、会ったことがある気がするサラリーマンの姿……、記憶をたどりながらさまざまな場所を再訪する。現実と虚構が交錯し、確からしかった記憶はゆらぎ始め、AIとの協働は、私たち⾃⾝の物語の不安定さに向き合うことを促す。本作は、AI時代のセルフドキュメンタリーのあり⽅を探究した問題作である。


◉中村駿
2001年⾦沢市⽣まれ。光学装置と⾊材を⽤いて、イメージとモノの間に⽣まれるおかしみを探求してい
る。写真が現実の痕跡であるという信頼が失われた現代において、メディアを通して/通さずに⾒ることの差異から、視覚の現在性を問い直す。視覚芸術作家、デザイナー。

タイトル《物のイメージ》
デジタル画像処理の質がいちじるしく発展し、さらには画像⽣成AIの技術が台頭した今⽇、私たちが⽇々⽬にするさまざまな物のイメージは、その信憑性を失っている。かつて写真はありのままの現実を写し出すと信じられていた時代があった。しかし今⽇のメディア環境を⽣きる私たちはそのようなナイーブさを持ち続けることはできない。では、私たちが物体の⽣々しさ、その存在感を強く意識する契機はあるのだろうか。
作者はそこで、写真のように⾒えるが確かに実在している物の違和感を鑑賞者にもたらす。この経験は、写真が指し⽰しているものが不確かであるという私たちが⽇々置かれている状況を逆⼿にとることで、イメージの知覚に揺さぶりをかける挑戦である。

 


◉ふじかおる
IAMAS25期⽣。暮らしの傍らにある微細な感覚への関⼼から、観察を通して制作を⾏ってきた。IAMAS
⼊学後は、⽣活空間を⼿⼊れする中で⽣じる感覚や判断に着⽬し、機能や効率に留まらない価値を、体験や表現を通して捉え直す⽅法を模索している。

タイトル《家の中の静かな管理》
きっかけとなったのは、リュックに物をしまうという⼀⾒とりとめもない⾏為への着⽬である。
「収める(収納する)」という⾏為は、私たちの⽇常⽣活のなかで「気にかけないでいい状態」を⽣み出してくれるものである。作品では、オブジェクトを実際に収める体験を通じて、「収める(収納する)」という⾏為の感覚やその過程での思考を振り返る。そのことを通じて、⽇々の⽣活のなかの感覚的な判断、さらには感性的なふるまいについての思考を促す。


◉吉本梓
IAMAS25期⽣。沖縄にて⾃⽣植物の利⽤や⺠具制作の調査を継続してきた。現在は、縄を綯うという⾝体的・反復的⾏為に着⽬し、植物との関係性から「⾃然とは何か」を問い直す芸術実践を⾏う。

タイトル《軌道上のイネ》
⼈類が農耕を始めたから、⼈は⾃然を⽀配し始めたのか、それとも植物に導かれ共に変化したのか。
本作は⼀粒の稲からその関係を⾒つめ直す。⽇本では「⼀粒に七つの神が宿る」とされ、稲は精神⽂化とも深く結びついてきた。
作品では、19世紀末から試みられてきた電気栽培技術を⽤い、微弱な電流や磁場が稲に作⽤する様⼦を可視化する。科学と信仰、⾃然と技術の境界が揺らぐなか、私たちが失いつつある“⾃然との対話”をもう⼀度感じ取るための試みである。

《⽉桃のしめ飾り》
沖縄在住時より、沖縄の⾃⽣植物である⽉桃でしめ飾りを作ってきた。正⽉に年神を迎え⼊れる神聖な場所(結界)を表す。しめ飾りは毎年⼀種制作されてきた。本展ではそのうちのいくつかを展⽰する。


中村駿さんとのお話

作品について教えて下さい
物がもつ存在感をなるべく強く見せたい。
物を白黒写真のような見た目にすることで写真ぽいのに、立体的にそこにあるみたいなギャップを作り出して、物がもつ生々しさとか存在感を強く出そうとしてます。

素材はなんですか?
食品サンプルをつくる所に修行に行ってて、色だけ変えて作っています。
あとは既製品の物を軸に、自分で加工して色を付けて。という物もあります。
世界にフォトショをしたみないな、そういうかんじでCGっぽく見せたかったので。

これはシリーズで?
ずっと造形系のものを作っていて、より造形としての力を強くするために写真ぽく見せると、写真ぽいのに物があるみたいな感じで、違う手法で物がもつ生々しさを強調できるな。と

なぜそこに注目を?
自分グラフィックデデザインをしていて、フライヤーとか作る時にアーティスト写真とか集めるんですけど、作家写真が白黒で送ってきた4人、カラーで送られてきたのが1人。どうやってチラシのデザインをつるかって時に、カラーの1人を白黒にしてもいいのかどうか悩んで、そういうのがきっかでですね。
スマホで物を見ることと、実際に物を見ることの違いに気付いてほしいかな。


ふじかおる さんとのお話

作品について教えて下さい
私は、物を納める行為について研究をしています。
生活の中で収納は皆さん日々の体験にあると思います。「納める」という言葉に注目をしていて、何に興味を持っているかと言うと、ただ日々の暮らしの中だと、いかに沢山のものを効率よく、最小限のスペースに沢山のものを詰めるとか、取りやすいとか、そういう機能に注目しがちですが、「ただ納める」。その物をAという場所から、Bの場所に繋げたかといってそこに何か機能を持つわけでもないんですけど、そういう判断をする時に、その人の感性だとか、美的感覚が凄く発揮される瞬間だと感じて、そこに物を納めるということの魅力があるんじゃないか。というので作品を色々作っています。

元々、小さいころから収納がものすごく好きですね。
なにかと箱に物を入れておくのが好きで、自分の学習机とかそうしてました。
美大でデッサンとか描いた時も「物のサイズが紙にたいして丁度いいね」と言われることが多くて、そういうのって空間に対する物のボリューム感だったり、レイアウトとか凄く気にする性格なんだと思います。

期間中には、収納するデモストレーションを行って頂きますね
【無用のものを納め続ける】というタイトルなんですが、自分の部屋で落ちていた、生活機能から一旦、離れた物たちを集めて、それをただただ納めることに集中する為のマテリアル。
私自身が物を納めるデモストレーションを15分ほどして、私なりの納める、個人の感覚を凄く集中してやっている人物としてやる予定です。ただただ「いつ通り」なものです。

「無駄なことの中に、実はすごく価値がある」私が好きな言葉です。

体験型の作品は年齢関係なく楽しめる内容でした。その人の性格が出ますね!子供の感性もすごく興味深いです。でも何が正解とかではないですものね?
そうです。自分が納得するように納めるという事に集中してやって頂く、全部の5種類のオブジェクトです。
感覚から沸き起こる判断がそれぞれの美的感覚とか、「こうなったらどうしようかな?」という分かれ道があるんじゃないかな。
入れる時にどの状態が自分と合ってるのか、集中していくとより、湧き上がってくる。する1人でするのもいいですし、2人並んでお互いチラっと見たり、それぞれの感性が分かって。

どういう場所でするかでも違ってくるかもですね。
今回初めて正座で出来る場所なので、正座で姿勢をピシっとしたくなるし、人にも見られる場所だから、見られてる意識とかで違ってきますね。

実際にご自身が収納されてる時って頭の中で無なのか、それとも考えてるのか?
普段の身支度なときには、手が勝手に動いているんです。
今日の夕ご飯くらいは考えますが、次にあーして・こーしては、他の部分の脳が操縦している様な感覚で、基本的には集中というより、静かな気持ちでおあるかな。
帰りのリュックに物を詰める動作は、落ち着くんですよね。
行きの身支度だとまた違って、あれをこーしてとか、もっと具体的なことを考えながらしてますね。

お家の中は整えられてるんですか?
綺麗なミニマリストではないのですが、制作もしてますから、それをとにかく入れるのは結構、長けてますね。シンプルではありますね。

自分がつくった本当に綺麗に収まる収納の形が設計図でありますが、展示をすると意外とそうじゃない方がたくさんいて、それが何だか嬉しいです(笑)