展示・イベント

光象展

概要
作家・主催者 【陶芸】阿久根尚/大杉康伸/柏木円/阪本航/福森雅武/福森道歩/細川 護光/山中恵介【彫刻】岸野承【紙】嘉戸浩【ガラス】佐藤聡【木工】川合優【表具】藤田幸生/山本達也【彩色】廣戸一幸【友禅】陣内久紹【紬織】陣内章代【庭】北山浩士【大工】苦瓜幸成【生花】植松賞月斎【絵画】平川功/高橋涼子
期間 2021年11月12日(金)~11月14日(日)
時間 11:00~18:00 ※最終日は16:00まで
備考 陶芸、彫刻、紙、ガラス、木工、表具、色彩、友禅、紬織、庭、大工、生け花、絵画

レポート

青森県で60年間続けられているグループ展覧会「からなし・そさえて展」。
“からなし“とは、リンゴの別名で使われていた言葉です。
のびのびしたリンゴ畑がある青森津軽のふもとで行われていた展覧会(寄り合い?)に詩人・絵描き・陶芸家など、色んな分野の物づくり達が集まり、展示、そして夜通しお酒を飲みながら議論などが繰り広げられていたそうです。
それが発展的に「光象展」となり、奈良・滋賀を経て今では京都で行われる様になりました。
東京から津軽まで足を運び、今も毎回The Terminal KYOTOまでお越しになられる方は、
「楽しく発展していってるな。誰の作風が変わったな。力強くなったな。もうちょいやな」と色々感じながら楽しみにしてご覧になられてる方もいらっしゃいます。


昨年から参加された北山造園の北山様は「生り物は幸福の象徴でもあるので、コロナの暗い時代から少しでも明るく、幸せを願って」と、実を付けた木を使い土間にお庭を造られました。


古材や石の形を生かしながら、削って削って作品を作る彫刻家の岸野承さん。
防空壕に和蝋燭を灯し、揺らぎながら火がだんだんと大きくなっていきます。
暗闇の中で蝋燭の灯りから見えてくるのは、顔を削った座像が座っていました。
幻想的でもあり、力強くも感じる不思議な空間。
何か語りかけている様に感じたり、浄化する様な気持ちになったり、作品をご覧になられた方は様々な気配を感じられたと思います。
その気配から、座像の顔は見えましたか?
坪庭には、元々そこに合ったかの様に自然に馴染む石の彫刻。

ただただ、ぼんやりと眺める。それだけで心に何かが宿る様な不思議な魅力を感じる岸野さんの作品です。


今回は出展作家である三重県に土楽窯を構える7代目 福森雅武さんを、光象展の作家たちで囲み、物づくりについてのお話を聞く時間が設けられました。
その一部、福森さんの言葉を残させて頂きます。


戦中派で、6人兄弟だけど私1人しか残っていないんです。
私で7代目(伊賀焼を代表する窯元「土楽窯」の7代目)。
門前の小僧だから誰に習う事でもなく、小学校の時は後で叱られるけど、職人がロクロで使った余りの土を触って泥んこ遊びして、6年生の時には茶碗や湯呑みは出来る様になっていた。
そんなので小学校の時から多少は出来て、弟子入りもしてないけど、子供の時に覚えたものは一生ついてくる。忘れません。

最初はとにかく職人さんがしている事を、自分でやる。
職人さんが一時間で10、20個ひいたら、自分も同じ数をひける様になろうと、とにかく数でも技術でも負けない。そういう努力を20歳までにやってきました。
それから大徳寺に入って、お茶とはなんぞや?千利休さんの本を読んだり、話を聞いたりして。
利休は、瓦職人 長次郎の技術を認めてお茶についてこんこんと教え、茶碗を作らします。
利休の心の中に入って、利休がどうしたいかを自分の心で育てていって、長次郎の茶碗が出来上がっていった。
本質を裸にして本質は何か。余計なものを全部捨てて捨てて、削ぎ取って本質をどうするか。
これが、私の20歳代の基礎になっています。


私は花を買った事がなくて、散歩しながら心に飛び込んできた花を持って帰り、それをどう生けたら部屋の空気が変わるか。そういう所を追求していった。
何でもそうですけど、皆さんの作った物でも、置いたら部屋の空気がビン!と変わる。
そこ迄いかないと物の面白さは本当に分かってこない。

陶器だと数作るけど、慣れてくると手が勝手に仕事し出すんです。
手が仕事し出すと、心がそこに入らないから、手先だけでよく似た物は出来るけど、本当に欲しい物が出来なくなる。
お花でも生けた途端に部屋の空気ビッとしまる、空気変わるくらいの、そこまでいかないとなかなか花を楽しめない。私の基本はそこ。
本当に心に飛び込んできた、感動する花を見つけて取って、その背景にどういう暗さがあるか。明るさがあるかを思いながら、花の工夫をします。
言葉では難しい事言ってるけど、それが決まったら非常に気持ちが落ちついて、楽になって、また次の事ができる。と私は思っています。


何十年も粘土を取っては試験焼きしてます。
山に行って、崖が崩れて新しい粘土層を見つけたら幸せになって、粘土を触るとこういう感じになるんじゃないか?と予想がついて、これで何か作ろうと意欲が湧いてくる。それが嬉しい。
私がよく言うのは、粘土が見つかったら8割がた出来上がってる。
自然の粘土は、400万年たたないと出来ない。一度焼いたらもう粘土には戻れませんからね。我々は使わして貰っています。


質問:ジャコメッティも削って、針金のような作風になっていった。膨らますのは色々出来るけど、削るのは以外と難しいのでは?

いっぱい勉強して、それを切り落として行かないといけない。
沢山色んな事が覚えられるんだけど、それをある歳になると全部リセットする。
前の作品の評判が良かったとするでしょ。それが頭に残っていると、それのコピーの様な物を作ってしまうんですよ。
そうなると心がこもってないから自分で作ったんだけど、二番煎じで薄くなっちゃう。

一生懸命遊ぶから、何かがふと心の中に残ってるんですよ。
ものづくりは、ものだけではない。
物が生み出される前の、人というものがあるんですかね。
何か見て心の底から感動すると、今度物と正面から向き合った時に、そういうのがあればもの凄く心強い。
何も感動なしに、テクニックだけですると薄っぺらくなる。
美しい決まった物があると、そこに執着してしまいます。でもそこから新しい物は生まれにくいんです。
散歩する時に飛び込んでくるのは、何もないから飛び込んでくるんです。

物を作るとき、若い時は足しがちだけど、引き算が以外と大事だと思う。
でもそれが分からない時は足してでも、とにかくやりたおして、そっからやっと分かってくる事があるんです。
頭の中で考えてるだけじゃなく、身体を使って何かやらんと、引き算も足し算も出来ないようになる。

職人はまた作家と違う意味がある。
人には見せないけど色んな事をやり尽くして、その人の生き方と技術で品格も出る。
それは、こちら側にも伝わってくる物が沢山あるしね。


ものづくりは物だけではない。
手仕事であり、身体仕事でもありますが、
生き方と心。精神の仕事でもあるのですね。